昭和8年(1933年)ころ 撮影:中野代吉氏 広島市中区
昭和7年(1932年)に道路と電車の兼用橋として完成した相生橋は、昭和9年(1934年)に中島地区(現平和公園)の北端に橋桁が伸びT字型になった。しかし昭和14年(1939年)まではその南側に2本の木造橋があった。映像では産業奨励館と共にその木造橋が確認できる。
相生橋を走る電車の奥に見えるレンガ造りの建物は、市内電車が開通した大正元年(1912年)に竣工した櫓下(やぐらのした)変電所。被爆時に隣にあった商工会議所はまだ竣工していない。変電所の建物は原爆により完全に崩壊した。後半の親子が散策している場所は長寿園付近と思われる。
参考資料:「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島平和記念資料館 1996年
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