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【RCC東京通信】広島城浅野家2代城主の夫人 意外なエピソード

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

夏目漱石など著名人の墓があることでも知られる東京都豊島区の雑司が谷を歩いた。

ここには古くから信仰の対象となっている鬼子母神堂がある。鬼子母神は安産、子育ての神だ。

4月のある日に訪れると、境内ではオシャレな小物やおやつなどを売る市が開かれていて盛況だった。

その賑わいを見守るように建っているのが鬼子母神堂。2016年に国重要文化財に指定された。

国重文:雑司ヶ谷鬼子母神堂 東京都豊島区

加賀藩から広島に嫁いできた満姫

この鬼子母神堂、実は広島とのつながりがある。

本殿を寄進したのが浅野家第2代広島藩主・浅野光晟の正室、満姫(自昌院)なのである。

本殿は1664年に建立された。満姫は加賀藩から嫁いできた。
3代藩主・前田利常の娘で2代将軍・徳川秀忠の孫にあたる。

広島城主・浅野光晟の正室、満姫が寄進し建立された本殿 手前には妙見堂がある


本殿 左端に映っているのが拝殿


どんな人物だったのだろう。

公益財団法人広島市文化財団広島城の担当者に聞いてみた。

残念ながら残されたエピソードは乏しいとのことだったが、意外なことを教えてもらった。

満姫と阿久利姫

忠臣蔵として語り継がれる赤穂浪士の討ち入り。

浪士たちの主君が浅野内匠頭長矩で、その正室が広島藩の支藩、三次藩主の娘として生まれた阿久利姫。

その阿久利姫にいわゆる奥方教育をしたのが満姫だったという。

現在TBSテレビがあるあたり(赤坂)の広島藩邸中屋敷に、いまなら小学校低学年にあたる阿久利姫を約3年住まわせて、正室の心得を教えたそうだ。

浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた江戸城松の廊下事件が起こる前に、満姫は世を去っている。

教え子に数奇な運命が待っているとはよもや想像しなかっただろう。

夫が事件を起こし切腹したとき、阿久利姫は32歳。その後、髪を落とし瑶泉院と称した。

阿久利姫は夫、そして仇討ちを果たした浪士たちとともに東京の泉岳寺で眠っている。

波乱の人生を送った阿久利姫に、若き日に満姫が授けた教えはどのように影響したのだろうか。


安産、子育ての神として信仰を受ける鬼子母神


本殿と鬼子母神像


樹齢700年という大イチョウ


※雑司ヶ谷鬼子母神堂の「鬼」は一画目の点のない文字を使う

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