2018年西日本豪雨の発生から、まもなく8年を迎えます。祭りの伝統を復活させ、地域を盛り上げようと立ち上がった、広島県呉市の被災地に住む男性。その不屈の思いに迫ります。

呉市安浦町に広がる三津口湾。祭りを企画したのは、柏島大祭運営委員会で代表を務める新名剛敏さん(65)です。

発祥の地である無人島の柏島神社を案内してもらいました。歴史は古く、御神体は鎌倉時代に別の島から遷座したと伝えられています。

柏島大祭運営委員会 新名剛敏代表
「子どもの頃から、年1回の祭り。『海の守り神』のイメージだった」

明治からの歴史途絶え 神社の社務所が全壊

柏島大祭は、1894年の明治時代、世界遺産の島・宮島の管絃祭にならって始まりました。

海の安全や豊漁を祈願するため、毎年6月にご神体を乗せた船が島を一周する行事で、かつては四国や九州からも参拝船が訪れるほどでした。

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

「かしわさん」の愛称で親しまれ、当時は船や屋台が立ち並び、島の周辺は活気に満ちていました。

しかし、2018年の西日本豪雨では、裏山からの土石流によって神社の社務所が全壊。その後に襲いかかったコロナ禍が決定打となり、130年以上の歴史の中で初めて、祭りの伝統が完全に途絶えてしまいました。

生産者が考える「カキの大量死」の要因は?

カキ生産者でもある新名さんは、西日本豪雨後の「海の異変」にも苦しんでいます。

大量の土砂が海底に流れ込み、生き物の住処となる藻場が激減。近年、夏の猛暑も重なり、安浦の海では、カキの大量死が発生しています。

柏島大祭運営委員会 新名剛敏代表
「続いてほしくないが、すぐ元通りは行かない」

同時に、まちの衰退にも歯止めがかかりません。安浦町では西日本豪雨で4人が犠牲となり、豪雨の前に1万人以上だった人口は、8年が経った現在、9000人ほど(約17%減)に減少しました。

柏島大祭運営委員会 新名剛敏代表
「知らない子がいっぱい。昔からの祭りを復活させて、先に続けていければ」

「島から港へ」柏島大祭が形を変えて復活

祭り当日の午前8時、神社の宮司がご神体を抱え、三津口港にやってきました。

船で島に渡る安全性を考慮し、今回は島ではなく誰もが気軽に立ち寄れる港に会場を設置。形を変えて、柏島大祭が復活の時を迎えました。

会場のステージでは、地元の子どもたちが和太鼓やダンスを披露。掛け声を合図に力いっぱいモチをついたり、獅子舞にびっくりして泣き出したりと、普段は閑散とした港に、朝から誰もが予想しなかったほどの元気な声が響き渡ります。

初めて参加した母親からは「にぎやかで、色々な人に知ってもらえる」との声や、何十回も参加しているという住民(80代)は「見てたまげた。祭りをしててうれしい」と、目を細めていました。

伝統の神事「安浦町の明るい未来」

屋台では、苦境が続く安浦のカキを使ったピザも登場し、地域の交流を通じて訪れた人たちの心と体を満たしていきます。

この日のために準備をしてきた新名さんも、人波を見て「これだけ田舎に集まってくれてありがたい。うれしい」と喜びを噛みしめていました。

最後は伝統の神事が行われ、復活を遂げた柏島大祭は締めくくられました。西日本豪雨の発生からまもなく8年。新たな一歩を踏み出した新名さんは安浦町の明るい未来に願いを込めます。

柏島大祭運営委員会 新名剛敏代表
「海の豊かさを取り戻してほしい。人口も減っているが、未来の若者に健やかに育ってほしい。来年以降も続けたいと思っている」

無人島の柏島に上陸

無人島の柏島に上陸

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

昭和40年代の柏島大祭(安浦町まちづくり協議会の提供)

全壊した社務所の跡地

全壊した社務所の跡地

柏島神社の御神体を抱える宮司

柏島神社の御神体を抱える宮司