元「TOKIO」の山口達也さん(54)が16日、広島市で講演しました。華やかな活躍の裏で抱えていた「孤独」や「不安」。「アルコール依存症」について自身の経験を語りました。山口さんは「アルコール依存症と共に生きる」と掲げます。この言葉に込めた意味と覚悟とは。
(全5回の5回目/【「助けてください」 初めて求めた助けと精神科への入院 全ての始まりは不安…人と比べる「うらやみ」が「恨み」に変わり】から続く)

山口さんは「変えられるものと変えられないものを整理する」ことが、生きづらさを軽くする入り口だと話します。

山口達也さん
「変えられないのは過去と他人。変えられるのは自分と未来だけです」

依存症の回復においても、それ以外の場面においても、この整理は有効に機能すると山口さんは続けます。

山口達也さん
「思考を変えるだけでいいんです。アルコール依存症者はお金も家も服もない。変えられるのは思考だけです。『なんでうまくいかなかったんだ』ではなく『今日1日お疲れさん』と自分を褒める。そこから始めるんです」

「お酒が“止まっている” それが今の私」

思考を変えれば言葉が生まれ、言葉を持てば人に伝えられる。伝えることでサポーターが現れる。

山口さんが「助けてください」と初めて手を挙げたとき、アルコール専門病院へ連れて行ってくれる人が現れたようにー。

山口達也さん
「過去の悪いこと、苦しいこと、嫌なことにも感謝する。それが難しい。でもその苦しい経験があったから今の自分がいる。そういう思いで生きていると『あれ、5年間お酒が止まっているよ』って。それが今の私です」

「克服」ではない 「死ぬまで確認が取れない」

山口さんはこの日の講演で、インターネット上で使われる「依存症克服」という表現に対して、はっきりと異を唱えました。

山口達也さん
「克服できるかどうかは、『私が死んだときに体の中にアルコールが0パーセントである』、そのときに克服したと自分は思っています。死ぬまで確認が取れない」

山口さんは「アルコール依存症と共に生きる」という言葉を掲げます。

弱さの告白ではなく、依存症という病の実態を正確に見据えた上での、当事者としての「覚悟の表明」だと言います。

山口達也さん
「飲まなければ健康な人間に見られる。ただごく自然なことですよ。でも一生アルコール依存症である。それが分かっていれば、決して怖い病気じゃないと私は思っています」

アルコール依存症という見えない“病”

松葉杖をついていれば「どうした?」と声をかけられる。マスクをして咳き込んでいれば「風邪?」と気にかけてもらえる。しかし、アルコール依存症という見えない病はそうはいかないと、山口さんは話します。

山口達也さん
「今日家から広島まで来る間に、『依存症大丈夫?』と誰も言ってくれないんですよ。見た目は回復しているから健康に見える。でも一生アルコール依存症である。このギャップが、見えない病のつらさです」

回復の途上にある人が「依存症である」と公言することには、いまだに大きな社会的コストが伴うと山口さん。

「お酒を止める一番の力は“希望”」

回復への道を歩む上で、社会からその希望を絶たれることが何よりつらいのと、山口さんは伝えます。

「治らない。でも、回復はできる」

「自分はアルコール依存症と共に生きていることに感謝していきたい」

山口さんは講演をそう締めくくりました。

すべてを失ったことへの感謝ではありません。その経験を通じて、初めて「助けてください」と言えるようになり、病を知り、自分を知り、人とつながれるようになったことへの感謝です。

アルコール依存症は、治らない。しかし、回復はできる。そして回復のプロセスは、当事者一人では成立しない。山口さんは力を込めます。

山口達也さん
「いわゆる、つながりを作っていくっていうこと。自分一人で絶対考えないということですね。それが孤独につながるから。孤独はとにかくだめです」

【この連載を最初から読む(全5回)】
#1「お酒をやめた」と言えない アルコール依存症のリアル 「広島の空港で飲んでしまうかもしれない」その意味は
#2「お酒強いね」が誇らしかった「二十歳の乾杯」から始まった“15年”仕事が順調の裏で“家飲み”が逃げ場に
#3「お前は地に落ちたんだ」 仕事も仲間も信頼も全てを失った“不祥事” そして「本当の転機」となった“飲酒運転事故”
#4「お前は地に落ちたんだ」 仕事も仲間も信頼も全てを失った“不祥事” そして「本当の転機」となった“飲酒運転事故”
#5「変えられるのは未来と自分」依存症“克服”と言わない理由「死ぬまでアルコール依存症と共に生きる」覚悟