航空自衛隊の幕僚長として、「ブルーインパルス」を創設した源田実氏。その軌跡を紹介する資料館が、出身地の広島県安芸太田町にできました。
熊本地震から10年となった4月、復興イベントで展示飛行をしたブルーインパルスです。熊本の青空に描かれた白いラインを、たくさんの人たちが見つめました。

各地で華麗な技を披露している「ブルーインパルス」を、1960年に創設したのが、当時、航空幕僚長だった源田実氏です。
源田氏の資料館は、故郷、広島県安芸太田町加計地区にある生家にできました。

源田氏の家族などから提供された資料を紹介しています。
戦後、航空自衛隊の幹部や参議院議員を務めた源田氏。戦争中は、日本海軍の航空参謀として、真珠湾攻撃の立案などをてがけました。そして戦争末期、源田氏には日本軍の「最後の戦闘機」が託されます。

4月、鹿児島県阿久根市の沖合で引き上げられた日本軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」。海中から姿を現した紫電改は、81年前、アメリカ軍の航空機と戦い、海に不時着しました。
太平洋戦争の末期、アメリカ軍機は頻繁に日本の上空に飛来し、各地が空襲を受けました。紫電改の役割は、こうしたアメリカ軍機を迎え撃つことでした。源田氏は、紫電改の部隊がある第三四三航空隊(343空)の指揮官=司令でした。
源田氏は生前のインタビューで、343空の任務について語っています。
源田実氏(1970年)
「やってくるやつは全部やる。制空権の奪回というのが主目的。アメリカ軍の戦闘機をまずやっつける、爆撃機もやります」

鹿児島で引き上げられた紫電改に搭乗していた林喜重大尉は、戦死しました。アメリカ軍の圧倒的な戦力によって、紫電改の若いパイロットたちも命を落としました。
1970年のインタビューで源田氏は、指揮官としての思いも語っていました。

源田実氏(1970年)
「指揮官っちゅうのは、非常に自分を抑えないといけないところがあるんですよ。指揮官が気の毒だなんて言ってたら、戦はできないんです。鬼のような気持ちにならないとね。でも、腹の中に鬼はおりませんよ。毎回出ると2、3機は帰ってこないんだからね…。何とかして、全機帰したい。当たり前」
資料館には、源田氏が大切に保管していた戦死者の記録もあります。戦後源田氏は、毎朝のように亡くなった部下たちに手を合わせていたといいます。

源田氏の長男・健壽さん
「それだけ、旅立った人間たちの思いをわかって、悲しいとは口では言わないけれども、心の中にはずーっと残っていたと思います」

空き家になっていた源田さんの生家を、約1年かけて改修し、資料館にしたのは、地元で空き家の再生や活性化を手がけている住民グループ。加計出身の人たちの歴史を全国に知ってほしいという思いからでした。
源田資料館 森脇智史館長
「どんどん寂れていくなかで、少しでもこの地域に人を呼び込むために、源田実さんの力で、加計に全国から人が集まってほしいなと」
資料館は5月30日から当面、土日と祝日にオープンしていて、平日は予約制となっています。















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