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「どこにいても生きていてください」 福島から広島へ避難した10歳少女 14年後に小学校教諭に ふるさとの想い胸に広島で3.11授業 あの日の自分と同じ10歳の教え子たちに震災体験伝える 東日本大震災14年

東日本大震災で、福島から広島に避難した当時10歳の女の子がいました。今は、広島市にある小学校で先生になりました。3月11日に子どもたちに伝えたいことがありました。

児童
「おはようございます」

広島市にあるみどり坂小学校の4年1組です。11日は特別な授業がありました。

4年1組担任 三浦友菜教諭
「きょうは何の日ですか?」

児童
「東日本大震災」

担任の三浦友菜さんは児童たちに語りかけます。

三浦友菜さん
14年前のきょう、先生は小学4年生。みんなと同い年です。この日に先生は東日本大震災に遭いました」

福島県いわき市出身の三浦さん。マーチングバンドに熱中する活発な女の子でした。

三浦友菜さん
「小学校のときは全国大会常連だった。何万人の観客から見られて、大阪城ホールなどすごく心に残っている。幼少期の思い出たくさんある」

14年前のあの日も、マーチングの練習でした。

三浦友菜さん
「紅茶を飲んでいたところで、地震が来た」

【2011年3月11日午後2時46分】(映像提供:いわき市)

三浦友菜さん
「すごく揺れだして、急いで外出た瞬間に後ろの下駄箱が全部倒れた。中にもう入れない状態になった」

学校の先生や仲間たちと三浦さんは避難しました。

三浦友菜さん
「当時小学4年生だったのもあるが、いつも見ている景色とは全然違ったものだった。これはただごとじゃないなというのは、小学生ながら感じていた」

海沿いの「いわき市」では災害関連死含め468人が犠牲になり、9万棟以上の建物が被害を受けました。三浦さんの家族は幸い無事でしたが…。

三浦友菜さん
「父親が近所の人を集めて、**『もういわき市を離れた方がいいかもしれない』**と言っていた」

震災直後に発生した福島第一原発事故。三浦さんの実家は原発からおよそ40キロの場所でした。仕事がある父親を残し、姉・妹と3人で広島の祖母の家に避難することになりました。(※母親も後に広島へ避難)

福島から広島へ避難 塞ぎ込む日々を支えたのは…

三浦友菜さん
「言われるがまま、されるがままって感じだった。やっぱり最後お別れぐらいは言いたかったな…」

毎日顔を合わせていた仲間たちとの突然の別れ。大好きだったマーチングも続けられる状況ではありませんでした。

三浦友菜さん
「妹は毎晩泣くし、家族に会いたい会いたいとなる。私たちもそれを見ていると、会いたいし、帰りたいし、なんでここで過ごさなきゃいけないんだろうってずっと感じていた」

そんな三浦さんを支えてくれたのは広島で出会った学校の友人たちでした。

三浦友菜さん
「いつでも笑わせてくれるような感じ。震災の話を聞いてほしいわけではなかったのでそっとしておいてくれて、でも時には聞いてくれた。3.11に対して、一緒に寄り添ってくれるのはすごくありがたかった」

中学からは部活でマーチングも再開。少しずつ前を向けるようになりました。

三浦友菜さん
「やっぱり好きなことができる。ずっと当たり前だと思っていた生活ができなくなったときに、この生活は当たり前じゃなかったんだなって。家族と一緒に過ごせるって当たり前じゃなかったんだっていうのを感じた。当たり前を大切にしよう、当たり前だと思って生きていちゃいけないんだと感じた

「震災後の居場所 広島で小学校教諭に」教え子にあの日の自分重ね…

子どもや学校が好きだった三浦さんは、「震災後の居場所」を作ってくれた広島で先生になりました。教室ではいつも児童たちに囲まれる人気者です。

4年1組の児童
「三浦先生は勉強も分かりやすいし、優しいし、かわいい」

3月11日が近づくと、三浦さんはある言葉を思い出します。福島から広島に避難する直前に当時の先生からかけられた言葉です。

三浦友菜さん
「**『とにかくどこにいても生きていてくださいね』という言葉をもらった。いわき市を離れたとしても『応援してますよ、頑張ってね、負けないでね』**という、いろいろな意味が込められてたんじゃないかなと思う。当時はそんなに深くは考えてなかったが、やっぱり教員になってみると、子どもたちを思う気持ちは日に日に大きくなってくる。やっぱり前を向いて生きていくことは大事だと思う」

担任する4年1組の教え子たちに、14年前の自分の姿が重なります。

命や防災について考えてもらうため、三浦さんは「3月11日」に震災の体験を伝えることにしました。

三浦友菜さん
「東日本大震災をそもそも知らない子がたくさんいると思う。震災当時の自分と同じ年齢なので、ことしは特に思いを強く伝えたいなと思っている」

迎えた3月11日ー。

三浦友菜さん
「この話をするのがすごく楽しみだったわけではない。これはいい思い出ではないから。よく聞いてくれるとうれしい」

三浦さんは写真などを見せながら、地元の「いわき市」や東日本大震災の被害について教えていきました。

津波の写真を見た児童たち
「うわ…すごい…」

三浦友菜さん
「いつも見ている海とは違うよね。色も違うね」

東日本大震災以降に生まれた児童たちに、三浦さんは自身の経験を伝えます。

三浦友菜さん
「先生はその日以降、クラスメイトに会っていません。隣の人や班の人…誰にも会っていません。帰りの会でさよならをして、そのままなので…。担任の先生がどうなったかもわかりません」

三浦さんは児童たちに**「当たり前の日々に感謝して、前向きに生きてほしい」**と語りかけます。

三浦友菜さん
「先生はこういう経験をしたが、自分がかわいそうな人生だとは思っていない。なぜなら、今幸せだから。みんなに会えたし、話を聞いて真剣に考えてくれる人がいる中で先生が話をできるのは、震災のおかげでもある。後悔しないように自分が置かれている環境を大切にして生きてください。先生はみんなに出会えてよかったと思っています。話を最後まで聞いてくれてありがとう」

4年1組児童(男子)
「人の命は大切なんだなとか、離ればなれは嫌だと思った」

4年1組児童(女子)
「自分も家族を大切にしていこうと思った」

みどり坂小学校 福田忠且校長
「人の痛みが分かる。子どもたちの気持ちがよく理解できる先生。とてもいい機会になった」

三浦さんはふるさとへの想いを胸に、これからも広島で先生を続けていきます。

三浦友菜さん
「自分の好きなことができているのは回りの人のおかげ。諦めず前を向いてよかった。これからも子どもたちに寄り添いながら一緒にがんばっていきたい」

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