被爆から100年となる未来の広島を見据え、先人が復興に込めた都市計画の理念を若い世代が学び直す共同研究の中間報告会が開かれました。平和公園を設計した世界的建築家・丹下健三さんの長男も駆けつけ、これからの街のあり方について学生たちと語り合いました。
6月にスタートしたこの共同研究。広島大学などの学生たちが、戦後の復興で整備された広い道路や水辺の緑地をめぐったり、基町周辺の土地活用の歴史を学んだりして、被爆100年に向けてどんな価値を生み出すことができるのかを考えてきました。

中間報告会では、学生たちがこれまでの学びや気づきを発表しました。
今後の研究のテーマは?
参加した学生
「中央公園や河川空間、平和大通りなど先人たちが残してくれた都市空間が復興の過程でどのような役割を果たし、現在の広島の街を形作ってきたのかを知ることができるいい機会となった」

その中で学生たちは、・水辺の活用や・都心の緑地と平和の関わりなど3つのテーマで研究を深めていくと報告しました。

参加した学生
「個別の水辺空間における取り組みというものを周辺市街地や他の水辺空間と連携させることで都市全体の回遊性や魅力を高められる、高められるのではないかということを考えております」
この報告会には特別なゲストの姿も。平和公園の設計を手掛けた世界的建築家・丹下健三さんの長男で、同じく建築家の丹下憲孝さんです。
丹下憲孝氏も登場 平和の軸線への思い

丹下健三さんは、原爆資料館と慰霊碑、そして原爆ドームを結ぶ南北の「平和の軸線」を設定。これに交差する東西の平和大通りとともに街の骨格を築きました。
丹下憲孝さん
「父は軸線をスパインと呼んでいたスパインとは背骨のようなもの」
報告会のあと、学生たちは原爆資料館の1階、原爆ドームが見通せるピロティに場所を移し、憲孝さんに設計の意図など直接疑問をぶつけました。

参加した学生
「時代に合わせて残していくべき、積極的に更新すべきものはそれぞれ何だとお考えでしょうか?」
丹下憲孝さん
「使い方は、皆さんがこれから考えてって時代とともに変えてっていいですが、決してこの遺産みたいに残してくださいという思いではないと思います」
憲孝さんは、心の拠り所としての精神的な部分は大切にしつつも、施設の使い方は次の世代が時代に合わせて柔軟に変えていくべきだと語りました。
中間報告会を終えて…

参加した学生
「鎮魂のような側面それだけではなくて、図書館という文化とか教育っていうところ、そして、そこからつながる運動、また広島城など歴史っていう平和のより幅広い捉え方っていうのは、これから学生たちもよりフォーカスしていくべき」
参加した学生
「設計の思いはすごくあるけど、その訪れた人が何かを思うこと、思える空間が大事だというふうにおっしゃっていたのでそれを意識して街づくりに生かしていけたらいいのかなと」
丹下憲孝さん
「ただ単に平和の祈りのみならず、そこからは次のジェネレーションの、また次のジェネレーションのということなので、こういうことを考えた上で前に進んでいただく、それを考えるのは若い人たち、これからの人たちというのが父のメッセージだと思います」
学生たちは、グループごとにさらに検証を進め、来年春に最終報告をまとめる予定です。

























完全無料で広島情報


コメント (0)
IRAWアプリからコメントを書くことができます