「昨日も明日も明後日も続いていくことを、疑うことがなかった」
そう語る三浦由美子さんのそばには、いびつに変形した自転車…。15年前、飲酒運転の車によって奪われた息子・伊織さん(当時高校2年生)が乗っていた自転車です。
「加害者にも、被害者にもならないために」。由美子さんはいまも、各地で自身の体験を伝えています。
三浦由美子さん
「数字として見れば被害者の数は『1』ですが、たった1人の命がどれほど影響を与えるのかを、伊織の死を通じて私たちは実感しました」
いつもと変わらない夜になるはずが…

三浦伊織さん(由美子さん提供)
2011年5月。その夜は、いつも何も変わらない夜になるはずでした。午後7時50分頃、伊織さんから「遅くなる」というメールが届きました。
「翌朝から合宿を控えていましたので、早めに帰宅すると思っていましたし、私は仕事で疲れており、ソファーにもたれたまま寝てしまいました」
ふと目を覚ましたとき、突然電話が鳴りました。
「電話に出た娘がみるみる真っ赤な顔になり、体をブルブル震わせながら言った『お母さん、代わって』という声を、今も鮮明に覚えています」
「落ち着いて聞いてください」電話口から聞こえてきた声

伊織さんが乗っていた自転車
電話口から聞こえてきたのは、警察の、慎重に言葉を選ぶ声でした。
「こちらは警察です。三浦伊織さんのお母さんですか。落ち着いて聞いてください。
安佐南区の県道で午後9時30分頃、自転車と自動車の接触事故がありました。自転車に乗っていた男性の身元が確認できず、自転車の登録番号から電話をしています。
心肺停止状態で病院のICUに運ばれました」
接触事故と心肺停止…。その二つの言葉を結びつけることができませんでした。
「まだ助かる」「うちの子ではないと確認しよう」
そんな思いを抱えながら、自転車の色を尋ねたといいます。
「赤と白の競技用の自転車で、前輪と後輪のタイヤの色が違う」
伊織さんが大切にしていた、特徴的な配色の自転車でした。
病院で告げられたこと

警察からの連絡を受け病院に駆けつけました。ただ、案内されたのは、集中治療室ではなく、テーブルと椅子だけが置かれた白い部屋でした。
医師はこう告げました。
「呼吸も心臓も止まった状態で戻ることはなく、ここでは何もすることができませんでした。ほぼ即死だったと思われます。
力及ばず申し訳ございません」
最愛の息子の死は、家族全体の生活を根底から変えました。
「加害者は表情一つ変えず…」裁判で加害者に遺族が抱いた憤り【2回目に続く】

伊織さんが乗っていた自転車




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