きょう(3月22日)で入れなくなる広島城の天守。いまの天守の前には、原爆で崩れ落ちた「初代天守」と、2か月だけ存在した幻の「模擬天守」もありました。広島城学芸員の本田美和子さんと、城の歴史を振り返ります。

広島城は、毛利輝元によって1589年に築城が始まり、3年後に天守が完成したと言われています。当時は「小天守」と呼ばれる小さな天守も2つありました。城下町はかなり大きく、南はいまの相生通り、北は城北通り周辺に堀がありました。

本田美和子さん
「広島城の城下町は、東西南北が約1キロ。広さ90万平方メートル。マツダスタジアムだったら25個入る大きさもありました」

その後、明治時代には小天守は壊され広島城全体が軍用地に…。それでも、市民の憩いの場であり続けました。

学芸員 本田美和子さん
「戦前も本丸内には桜が植わっていて、花見のシーズンになると、軍用地だけれども一般の人も入ってきていました。のんびりとリラックスしてお花見をされていたみたいです」

原爆で崩れ落ちた広島城 6年後に幻の「模擬天守」が

しかし、1945年、原子爆弾の投下によって広島城は崩れ落ちます。石垣にも爆風の衝撃とみられるゆがみが生じました。

その6年後、1951年に国体のプレイベント「体育文化博覧会」に合わせ、2代目とも言える、模擬天守が登場します。

天守のまわりには、なんと当時、最先端のアトラクション「ジェットコースター」がありました。

当時の映像を見ると、ゾウも展示され多くの人が訪れていました。

本田さんは「人々に『やっぱり天守があるって良いよね』という思いが芽生えてくるきっかけにもなった」と説明します。

現天守の復元は1958年 「復興博覧会」で

イベントの終了とともに解体された模擬天守でしたが、1958年「復興博覧会」を機に、鉄筋コンクリート造の5階建てで復元されました。

復元の決定から博覧会の開催まではたったの10か月だったそうです。高さ39メートルの天守は、当時、周囲の建物よりひときわ高い建築物でした。

3年後の1961年にはRCCの現社屋がお堀の外に完成。1970年代には基町高層アパートが建設されるなど、変わりゆく街並みを見守ってきました。

この現天守、本田さんは「破風(はふ)」と呼ばれる三角形の屋根の配置の違いが、お気に入りだといいます。

学芸員 本田美和子さん
「広島城のお堀に遊覧船が浮かんでいるのですが、遊覧船で進んでいくと、みるみる見栄えが変わっていくので、楽しんでいただければと思います」

広島城遊覧船は閉城後も運航を継続しますが、天守には老朽化や耐震性の問題からいよいよ閉城し、中に入ることはできなくなります。

今後の広島城天守はどうなる? 木造復元の可能性も検討

天守を今後どうするかはまだ決まっていませんが、広島市は本来と同じ木造で、2つの小天守も含め復元する可能性について、今後、5年を掛け詳細な調査や検討を行います。

ただ、仮に木造で復元したとしても、供用開始は最速で2049年度と、簡単な道のりではありません。戦後、国内で天守が木造で復元された城は5つだけ。最大級の城は、愛媛県の「大洲城」です。

一方、現在の広島城天守と同様に、鉄筋コンクリート造りで再建された「名古屋城」は、8年前に閉城。木造復元の検討がはじまっていましたが、バリアフリー対応をめぐり、障害者団体と忠実な復元にこだわる河村前市長が激しく対立。現在、計画は止まっています。

今後の行方が注目される広島城天守…。中にこそ入れなくなりますが、少なくとも数年は、このままの状態で外から楽しむことができます。

また、天守内にあった刀や鎧など、数々の展示品は、2027年に開館予定の「広島城三の丸歴史館」に引き継がれます。