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焼け野原となった戦後の広島の街の復興とともにあったお好み焼…。
「お好みたべたい」は、作家・清水浩司さんによる関係者への取材とRCCに残る井畝満夫さんに関する資料などを基に構成・創作するオリジナルストーリーです。
清水さんが取材を通して知ったあんな話、こんな話をWEBコラム「お好み ひとくちメモ」にしました。
お好み焼が全国に広まるきっかけになった出来事が昭和40(1965)年10月の西新天地公園の使用禁止です。それまで西新天地公園には自然発生的に屋台が集まっていましたが、無許可営業や騒音問題もあって市は立ち退きを迫りました。その時、みっちゃんたちは広島駅ビルに移り、それとは別に14軒が移転して作ったのが「お好み村」です。
やがてお好み村は修学旅行生を受け入れて広島の観光名所となり、駅ビルのお店は広島出張のビジネスマンの御用達となりました。こうしてお好み焼は広く全国に知られるようになったのです。
しかし「みっちゃん」は駅ビルに3年しかいませんでした。駅ビルの隣の店が空いたので移ろうとしたら、そこが移転を撤回。居場所がなくなり泣く泣く駅ビルを出ることになりました。
結局みっちゃんは八丁堀に物件を見つけ、路面店を開きます。カープが優勝した時に「みっちゃん」があったのは八丁堀。その日はみっちゃん、流川で祝杯をあげたのかもしれません。
(取材・執筆 清水浩司)

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