「分からない未来」に怯え…

「視力を失っても、手元に残ったものがある」。20代で網膜色素変性症による視力低下を経験し、現在は全盲の医師として勤務している、精神科医の福場将太さん。失明という壮絶な体験をどのように乗り越え、精神科医としての視点に繋げたのか。広島市で開催された「自殺予防・いのちの電話」公開講演会で、福場さんが自らの心の葛藤を通じて語った、命を支えるためのヒントを紐解きます。

1980年生まれ、広島県呉市出身。東京医科大学在学中に「網膜色素変性症」という難病を宣告されました。医師への道が拓けようとする矢先の出来事でした。

「目が見えなくなったら、医者になれるのか」

押し寄せる不安に飲み込まれ、一度は国家試験にも失敗します。そんな福場さんを救ったのは、故郷の母校での気づきでした。

“揺るぎない過去”に目を向け

国家試験で不合格となった春。母校・広島大学付属高校の100周年記念式典に足を運びました。そのとき、大先輩たちが肩を組んで校歌を歌う姿を見て、悟ったことがありました。

「目が見えなくなろうが、自分がこの学校の卒業生だという事実は変わらない」

「どうなるか分からない未来」に怯えるのではなく、「今、確かに分かっている自分」を大切にする。不確実な未来に怯えるのではなく、揺るぎない過去や事実を支えにする視点の転換が、不安を和らげる鍵となりました。

「喪失」を埋めた「残されたもの」

猛勉強の末に医師となり、北海道で勤務を始めました。しかし待ち受けていたのは、急速な視力の低下でした。大好きな漫画が読めない、人の顔が分からない、コンビニの弁当さえ選べない…。

「これ以上、奪わないでくれ」

祈るような日々の中で、支えとなったのは「音楽」と「深夜ラジオ」でした。学生時代からの趣味であるギターと、ラジオへの投稿。視力を失っても、歌うことはできる。文章を綴り、誰かを笑わせることはできる。

「全部を失ったわけじゃない」

失ったものに目を向けるのではなく、手元に残っている「愛おしいもの」を握りしめる。少しずつ自信を取り戻していきました。

完全に失明…襲われた自己否定

30代前半で完全に失明した福場さんを襲ったのは、「自分は社会のお荷物ではないか」という猛烈な自己否定でした。同僚の助けを借りるたびに感じる申し訳なさ。これは自殺のリスクを高める最も危険な感情だといいます。

「眼科の講演会で一緒に話そう」。転機は、大学時代の眼科医の先輩からの誘いでした。これまで目が見えない医者であることを隠していました。しかし、先輩の誘いをきっかけに、初めて公にして人前で話をしたといいます。

反響は、想像よりも大きく、「こういう役立ち方もあるのか」と思ったといいます。

それまでは、「他の医師と同じ仕事をする」ことにこだわってしまっていました。そうではなく、視覚障害と”タッグを組んで”、他の医師がやっていない仕事をする。目を患った人の心のケアは、まだ多くの人が取り組んでいない分野でした。

福場さんはこうして、新しい目的地に向かって、また歩き出すことができたのだといいます。

「誰かの役に立つこと」が笑顔に繋がる

「お荷物感」という感情に苦しめられた福場さん。この感情は、精神医学的にも自殺リスクを高める危険な因子とされています。

この感情を和らげるきっかけとなったエピソードについても触れました。ある精神科の学会で聞いた「笑わないおじいさん」の話です。

家族やスタッフ誰からも優しくされても、一切笑わなかったおじいさん。しかし、居眠りした看護師に肩を貸した瞬間に初めて微笑んだというエピソードです。

「支援者は安心と安全ばかり考えて、その人が役に立つチャンスを奪ってしまいがち」と語ります。

そして、こう続けました。

「人は、誰かの役に立って初めて笑顔になれる」

命を支える3つのエネルギー源

福場さんは自らを支えてきた「3つの心のエネルギー源」を提示しました。

懐かしさと愛おしさ:現実が苦しくても、思い出や好きな気持ちは誰にも奪えない。
**出会いとつながり:**独りでは視野が狭まるが、誰かの存在がその視野を広げてくれる。
**お互い様・おかげ様:**助けてもらうだけでなく、自分も誰かの役に立っているという実感。

「誰にも迷惑をかけなかったけれど、誰の役にも立たなかった人生より、たくさん迷惑をかけたけれど、ちょっとは役に立った人生のほうが笑顔になれる」

福場さんのこの言葉は、支援する側・される側という壁を取り払い、共に生きる勇気を与えてくれるものでした。

広島いのちの電話
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