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WEBコラム「お好み ひとくちメモ」その⑦【復興する広島】

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焼け野原となった戦後の広島の街の復興とともにあったお好み焼…。
「お好みたべたい」は、作家・清水浩司さんによる関係者への取材とRCCに残る井畝満夫さんに関する資料などを基に構成・創作するオリジナルストーリーです。
清水さんが取材を通して知ったあんな話、こんな話をWEBコラム「お好み ひとくちメモ」にしました。

満州から帰ってきた井畝家が最初に一銭洋食のお店を開いたのは中央通りでした。

翌年には東新天地公共広場に移転。新天地は昔は埋立地だったため石がゴロゴロ転がっており、中央通りは新天地を縦に分断する形で戦後に建設された通りでした。

1960年、市の土地だった東新天地公共広場の屋台に立ち退き命令が出されました。

お店の大半は西新天地公園(現アリスガーデン)に移り、50軒近くが軒を連ねる屋台村を形成します。
昼間はガマの油売り、金魚すくい、うなぎ釣りなどが店を出し、夜になるとそれと入れ替わりに飲食店が建ち並びました。

モツ焼、ホルモン焼、おでん、中華そばなどの中、一番人気はお好み焼。人気にあやかろうと「自分たちもお好み焼屋をやらせてください」と「みっちゃん」にはたくさんの人が押し寄せましたが、みっちゃんは快く了承し、ソースの配合なども包み隠さず教えました。

みっちゃんの胸の中には「お好み焼が広島県の名物になって、みんなが栄えていけばいい」という想いがあったようです。
(取材・執筆 清水浩司)

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