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【RCC東京通信】梅薫る庭園にも軍都の面影

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

梅の季節ということで小石川後楽園に行ってきた。

江戸時代に水戸徳川家がつくった大名庭園だ。

40種類を超える約150本の梅の木があるという。

赤、白、薄いピンク色の花を愛でることができた。

香りもマスク越しに漂ってくる。

花粉症が気になったが出かけてみてよかった。

小石川後楽園 東京都文京区 3月1日撮影

池を中心にした回遊式の庭園は穏やかなたたずまいだ。

そこにひとつの記念碑を見つけた。

記念碑は兵器工場があったことを示すものだった。

庭園は広大な水戸藩屋敷の敷地内に作られたものだが、明治に入ると庭園の周囲は新政府の軍事施設へと変わっていったわけだ。

陸軍省の兵器工場、東京砲兵工廠が明治2年(1869年)から置かれたが、その優美さゆえか庭園は保存された。

当時も庭園の評判は高く海外の貴賓をもてなす重要な場所になったという。

東京砲兵工廠は大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受けたのをきっかけに昭和初期に福岡県の小倉に移転した。

記念碑は昭和10年1935年3月に建てられたとある

碑の形は庭園の外郭を表したものだという 画面右奥は東京ドーム

移転に伴い管理者となった当時の東京市が小石川後楽園として公開したのが昭和13年(1936年)。

入園料は5銭(現在300円)だった。

東京砲兵工廠が去った小石川後楽園だが第2次大戦中に近くに高射砲が設置されたためアメリカ軍の攻撃を受け大きな被害を受けたという。

東京を歩くと軍都の面影に接することがよくある。

私の散歩コースの代々木公園もかつては陸軍代々木練兵場だった。

ことしは戦後80年。

軍都の痕跡を意識して歩いてみようと思う。

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