原爆詩「生ましめんかな」のモデルとなった助産師・ウメヨさんの遺影が、2月、新たに、広島市の国立追悼平和祈念館に登録されました。
助産師の三好ウメヨさんは1945年8月6日に爆心地からおよそ1.3キロで被爆。背中と腕に大やけどを負いました。8日の夜、夫の勤務先である広島貯金局の地下室に移動。高熱で意識もほとんどない状態ながら、その日の深夜、産気づいた平野美貴子さんを助け、赤ちゃんを取り上げました。
このエピソードが後に原爆詩人・栗原貞子さんに伝わり、「生ましめんかな」が誕生しました。
三好さんに助けられた平野美貴子さんの遺影
このほか、国立追悼平和祈念館には、三好さんに助けられた平野美貴子さんと取り上げられた赤ちゃん・小嶋和子さんの体験記も新たに登録されています。
国立追悼平和祈念館では、「身近に原爆の被害に遭われた方がいれば、遺影の登録にご協力いただきたい」としています。
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