食糧難の時代から、パンの文化を築きました。パンの製造販売を手がけるアンデルセングループ創業者の妻で、相談役の高木彬子さんが、亡くなりました。99歳でした。
高木さんは原爆投下から3年後の1948年、夫の故高木俊介さんとともに現在の広島市南区に、「タカキのパン」を創業しました。当時小麦粉は配給制で思うように手に入りません。そこで青果店や菓子店に来店客が持ち込んだ小麦粉を預かって、パンにした後、それぞれの店頭に戻して売っていたそうです。
高木彬子さん(2023年取材)「本当に食糧難ですよね。おなかいっぱいが食べたいという時代で、それが段々おなか一杯からもう少しおいしいものを食べたいと徐々に変わっていくわけですね」
独創的なアイデアと寝る間を惜しんで働いた高木さん夫婦の努力も甲斐あって、事業を徐々に拡大していきます。1962年、「タカキベーカリー」に社名を変更。その年、デニッシュペストリーと呼ばれるデンマークの菓子パンを日本で最初に販売しました。
そして1967年、広島市中心部の被爆建物を購入し、広島アンデルセンがオープンしました。
高木さんは、広報部門や販売員教育などの小売部門を担い、2003年から、アンデルセングループの相談役に就任しました。広島商工会議所の女性会会長に在任中は、サッカースタジアム検討協議会の委員も務めました。
高木彬子さん(2013年取材)「私たち年をとった者ができることは、次世代のために何が残せるということ。これからの若い人たちのために、少しでも平和で安心してみんなが暮らせるまちづくり。そして世界に一つしかない広島」
高木さんは、先月にはグループの年始式に出席していましたが、6日に老衰のため亡くなりました。99歳でした。すでに近親者のみで通夜や葬儀は済ませていて、後日「お別れの会」が行われる予定だということです。
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