今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
コタカさんのふるさと、世羅町を流れる芦田川には、田畑を潤す水を確保するために造られたダムがあります。
昭和35年に完成した「三川ダム」。
緑の山々に囲まれたこの場所には、かつて、25世帯が暮らす三川村久恵(みかわそん くえ)という集落がありました。明治17年、コタカさんが産声をあげた里です。
芦田川流域は、瀬戸内海気候で雨の降る量が少なく、米づくりに必要な水をめぐって諍いが起こることもありました。
ダムを造れば、下流の福山市を中心とする備後平野の田んぼを水不足から守ることができる。将来は、この水を上水道や工業用水として活用できるかもしれない。と、未来を見据えたダム建設の計画が持ち上がり、水の底に沈むことになった久恵の里。
それを聞いた住民との交渉は難航し、役所の人たちは、東京に住むコタカさんに協力を求めました。
「何百年という永い間、平穏に暮らしてきた久恵の人たちを、不幸にしないという約束ができるのなら、協力しましょう」。コタカさんは、そう答えました。
そして、足掛け7年におよんだ交渉の末、久恵の里に住む25世帯すべてが、立ち退くことを承諾したのです。
三川ダムの建設で新しくできた湖は、農業の神様の名前にあやかって、「神農湖(しんのうこ)」と名づけられました。龍のような形をしたこの湖のほとりに、コタカさんの生家である熊田家の歴史ある建物は、そのままの姿で移築されたのです。
そして、裏山にあった守り神の大成龍(だいじょうりゅう)神社も、神農湖を見渡す場所に移されました。
移築されたコタカさんの生家には今、『久恵風穴の里(くえ かざあなのさと) ごもくめし』という看板が掲げられています。
『ごもくめし』という名前には由来があるのですが・・・そのことは次回、お話しさせてください。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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