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東洋額装スペシャル「大妻コタカの生涯」 第21話 苦難を乗り越えた先に

今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。

第21話 苦難を乗り越えた先に

昭和22年の4月1日。
コタカさんは、学校長でありながら戦時中に婦人団体で奉仕活動をしたことを理由に、教職追放の命令を受けました。学校も住まいも、すべて取り上げられてしまったのです。

大妻学院に近づくことさえ許されない日々の中、コタカさんの身を案じて、支えてくれる人もいました。
女子教育に身を捧げてきた純粋な熱意と、生徒に惜しみなく愛情をそそいできた温かい人柄を、よく知っていた人たちです。

「教職追放を解除してほしい」と入れ替わり立ち替わり願い出て、もちろん、コタカさん自身も陳情に足を運びました。
親交のあった出版社の好意によって、小さな家を建てることはできたのですが・・・
つらい日々は続き、一刻も早く学校に戻りたいという願いは、なかなか叶いません。

そして、4年5か月の歳月を経て、ようやく教職追放が解除され、教育者としての立場を取り戻すことができました。
人生で最もつらかった時期は終わりを告げ、晴れて大妻学院の理事長に就任したのです。

それでも、学校の職務から長く遠ざかっていたコタカさんには、心の傷が深く残っていました。

そんなある日、大妻学院の卒業生たちが、足の不自由なコタカさんのために、自動車をプレゼントしてくれました。丸くて可愛いフランス製の車で、愛のこもった贈り物が、
コタカさんを励ましてくれたのです。

そして、もう一つ。
うれしいニュースが舞い込んできたのは、昭和29年の春、縁側で陽なたぼっこをしていたときのこと。女子教育に貢献した功労者としての勲章、藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を授与されるという知らせでした。

このとき、コタカさんは69歳。
自分がやって来たことは間違いではなかったと、晴ればれとした気持ちになりました。これまで支えてくれた人たちへの感謝の想いがあふれ、より一層「教育に力を尽くそう」という決意を新たにしたのです。

世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。

▶番組ホームページはこちらをクリック「大妻コタカの生涯」を聞くこともできます。

この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。

■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久

■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会

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