「恥を知れ」という言葉があります。政治などの場面で人を批難する言葉として注目されることがありますが、この言葉を校訓に掲げる大学が、東京にあります。
大学の創設者は、広島県世羅町出身の女性…。日本の女子教育の先駆者でもある女性は、「恥を知れ」にどんな思いを託したのでしょうか?
世羅町にある石碑…。刻まれている文字は、「恥を知れ」。今から140年前に生まれた女性の生家の前にある「教え」です。
大妻コタカ記念会 井上小百合 会長
「かなり厳しい言葉ですので、女子の学校にふさわしいかどうか、ずいぶんお考えになったようなんですけど」
東京の大妻女子大学です。校訓は、「恥を知れ」…。約110年前に、世羅町出身の大妻コタカが創立しました。大妻コタカは1884年=明治17年に今の世羅町で農業を営む熊田家に生まれました。
勉強が好きで、18歳まで地元で裁縫などを学びます。当時コタカが和裁を学んでいた「私立裁縫所」だった建物を訪ねてみました。今高野山にある県の重要文化財・安楽院本堂です。
世羅町教育委員会 林光輝 学芸員
「高等小学校を卒業したとくに女子はですね、次に学ぶ場所が用意されていなかったんですね。私立ではあるんですけど、今でいうと中学校に当たるような、中等教育が受けられる場所ということで来られたのではないか」
コタカは、ここで運命的な出会いをします。裁縫所の卒業記念に撮られた写真です。最前列の右から3人目がコタカです。そのすぐ後ろ、二列目の右から4人目…裁縫所の設立者・多田道子がその人でした。
世羅町教育委員会 林光輝 学芸員
「多田道子先生に習ってですね、自分も勉強したい、教師の道を選びたいと思われていたそうですので。そして、自分からさらに、いろんな地域のお子さんを教えていきたい、底上げしていきたいという思いがあられたんだと思います」
向学心は冷めることなく、コタカは上京して勉強を続けました。当時としては異例のことでした。そして、結婚後の24歳で裁縫や手芸の家塾を開くことになります。これが後の大妻女子大学へと発展していきました。
校訓の「恥を知れ」は、嫁ぎ先の家訓でもありました。
大妻コタカ記念会 井上小百合 会長
「大妻で校訓としている『恥を知れ』というのは、自分が言ったり、行動をしたりした時に、恥ずかしくないような、振る舞いをしなさいという教えなんですよね。常に自分の心に問いかけて、そういう恥ずかしいことをしなかったかどうかっていうことを、よく考えなさいという言葉」
女性が学び続け、自ら道を切り拓くことが難しかった明治の日本…。「恥を知れ」からは、女子教育の先駆者となったコタカの強い意志が垣間見えます。
コタカの生家は、移転した場所で飲食店として活用され、直筆の書などゆかりの品も並んでいます。
スタッフ
「きょうはご飯はむかごご飯です。お汁はなめことお豆腐です」
大学生
「食事とか彩りが良い。写真映えしそう」
この日は、東京の大学生が来店していました。
大学生
「授業で『恥を知れ』みたいなのをやりました」
大学生
「ぱっと見、すごい強いワードだなと思ったんですけど、結構、心に響いたというか、覚えやすい。良い言葉だなと。後世に語り継げる」
店主の伏原由美子さんです。コタカの親族と交流があったことがきっかけで、20年前に、飲食店を始めました。
伏原由美子さん
「自分で生きていくために、自分に色んな身に付けることをね、それがお裁縫であったり、手芸であったり。先生が大きくなられたこの環境というのをやっぱり、知っていただきたいな」
伏原由美子さん
「美味しいもの食べている時ってみんな嫌な顔しないですよね。その笑顔を私はもうちょっと見ていきたいな」
11月末、生家の近くにある神社で、年に一度の「大成さん祭り」がありました。大成龍神社にはコタカが祠を奉納しています。「出世の神様」ともいわれ、参拝者も増えている神社…。コタカを知る人もいました。
美術品の表装などを手がけている東洋額装の小林正明会長です。小林会長は、10代後半だったころ、叔父が営む世羅町内のパン店を訪れたコタカを、バイクで送ったことがあったといいます。
小林正明 会長
「何も覚えていないんですけどね。後ろに乗ってもらう時に、二の腕がすごく大きいなというのを子どもながらに、未だに覚えていますね」
少年時代を世羅で過ごした小林会長も、コタカの「教え」を胸に刻んでいる一人です。
小林正明会長
「(コタカの言葉に)「恥を知れ」というのがあるんですよ。昔は、こういうことをしたら家名の恥とか、村の恥とか、日本の恥とかというそれが抑止力になったり」
「抑止力」…、それは、自身を律して行動する「規範意識」という意味とも捉えられます。
小林正明会長
「大妻さんの『恥を知れ』という中に全てが包含されているような気持ちをしていますね」
コタカが残した教え、「恥を知れ」…。ふるさと世羅とゆかりのある人も、その遺志が受け継がれています。
RCCラジオでは、大妻コタカさんの生涯を綴る番組を10月から放送しています。
収録中の さいねい龍二さん
「第10話、校訓は恥を知れ。大正6年に開校した大妻技藝学校の…」
ナレーションは、コタカさんの生まれた世羅町とも縁の深い、タレントのさいねい龍二さんです。(さいねいさんは世羅町で農園を営んでいます)
さいねい龍二さん
「台本をもらうのが毎週毎週楽しみですね。大妻さんの生涯って、本人の行動力がある故なんですけど、毎年毎年困難にぶちあたって、それを、コタカさん自身の努力とか、家族でそれを乗り越えていく」
昼の時間帯に放送されているラジオ番組ですが…。
さいねい龍二さん
「(この番組のことは)『聞く朝ドラ』だと思っているんですよ。ラジオで僕のしゃべる声とか、BGMとかで、より皆さんの脳の中で大妻コタカさんがドラマティックに動いていったらと思って。5年後か10年後か分からないですけど、大妻コタカさんで朝ドラやってくれたらうれしいと思っています」
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