原爆ドームが世界遺産に登録されてことしで30年です。登録に尽力した元外交官が外交交渉の舞台裏について講演しました。
元外交官 久枝譲治さん(75)
「ことは日米の原爆の歴史的な評価に関わりますから、自分として100%の成算がある交渉ではありませんでした」

元外交官の久枝譲治さん。日本が原爆ドームの世界遺産登録を目指していた1995年、外務省の担当課長に就任しました。
国内では、およそ165万人分の署名が集まるなど、登録に向けた機運が高まります。しかし原爆ドームは戦争の記憶を留める「負の遺産」。翌年の夏ごろ、原爆を投下したアメリカが反対していることが外交チャンネルで伝わってきました。
広島出身の両親を持ち、被爆2世でもある久枝さん。正攻法では難しいとみて、異例の説得をします。
元外交官 久枝譲治さん(75)
「もし原爆ドームの世界遺産が実現に至らず、かつそのような結果が、米国の反対によってもたらされたという事実が国民の目の前で明らかにされれば、それは最悪だと。世界で最も重要だと私たちが信じている日米同盟関係に、重大な問題を生じる」
さらに中国からは直前になって態度を「留保」すると伝えられました。
元外交官 久枝譲治さん(75)
「中国の留保の動きについては肝を冷やされたんですけども、予告なくいきなり新しいことを言い出す、というようなことがなかったのは、せめて幸いでして。いろいろ対話を積み重ねたことで、外交官同士の連帯感というか信頼感みたいなものが醸成されたことによるんじゃないか、と私は受け止めてます」
粘り強い外交交渉の結果、原爆ドームは核兵器の惨状を伝えるものとして1996年12月、世界遺産に登録されました。

久枝さんは「これからも平和を追求する国際都市としての広島を広めていきたい」としています。








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