原爆で亡くなった人たちの遺骨が納められた平和公園の原爆供養塔ー。去年、遺骨の身元を特定するため、初めて“遺髪”でのDNA型鑑定が実施され、1人の身元が判明しました。この原爆供養塔で約20年間、毎朝ボランティアで清掃を続けている女性を取材しました。
夜明け前の平和公園に1台の自転車が到着しました。
原爆供養塔の清掃を続ける 渡部和子さん(81)
「(記者)おはようございます。おはようございます
(記者)早いですね。夏はもっと早いです」

原爆供養塔のあかりを頼りに、献花台の清掃から始めます。
渡部和子さん(81)
「四季とか時間、暗さで作業が違うんです。このあかりで出来ることからやってるんです」
広島市の渡部和子さん、81歳。ボランティアで供養塔の清掃を始めて27年になります。毎朝、清掃をするようになってからは約20年。こよみに関わらず、雨の日以外は黙々と、たった1人でそうじをします。

渡部和子さん(81)
「遺族の方が判明せず、お家の墓に入ることができなかった方が7万人もおられるのを思いますと、その方たちが“思い”みたいなのを発するのを感じますよね」
原爆投下直後の広島では、命を奪われた人たちが、まちの至る所で火葬されました。身につけていたものから名前が分かったり、遺髪や遺品が納められたりして、わずかな手がかりが残された遺骨もあります。しかし遺骨の多くは名前すら分からず引き取り手がないまま、供養塔に納められました。
供養塔では約7万人の遺骨が、いまも遺族を待っています。

渡部さんは、石畳の落ち葉をかき集め、広島市の許可を得て柵の中もきれいにします。平均2~3時間。落ち葉が多い季節は5時間かかることもあるといいます。
被爆者 故・佐伯敏子さん(1995年)
「ご遺骨が肉親の迎えを待っておられます」

清掃を始めたきっかけは、2017年に亡くなった被爆者の佐伯敏子さんとの出会いでした。佐伯さんは40年以上、供養塔の清掃を1人で続けてきました。
佐伯さんが体調を崩したあとは、交流があった渡部さんが自らそうじを受け継ぎました。

原爆供養塔の清掃を続ける 渡部和子さん(81)
「遺骨はせめてここで静かに綺麗なところで。佐伯さんがずっと続けてこられたんだから、そのまま続いて綺麗に。少しでも綺麗にしてあげたら」
渡部さんは被爆者ではありません。それでも、供養塔には“特別な思い”があります。当時14歳だった夫の姉の渡部基子さん。建物疎開の作業中に被爆し、遺骨が見つかっておらず、この供養塔で眠っていると考えています。

毎朝、扉の向こうにいるはずの基子さんと7万人の犠牲者に手を合わせます。
渡部和子さん(81)
「基子ちゃんたちが戸口のすぐそこにおられるんだわと思って。特別、あの階段を降りたところは、思いますね」

遺髪によるDNA型鑑定を実施した遺族 梶山修治さん(60)(2025年12月)
「驚きと喜びと…初枝として認められたて本当に良かった」
2025年12月ー。
広島市が初めて行った遺髪の「DNA型鑑定」で、遺骨は梶山初枝さんのものと判明し、遺族のもとに返されることになりました。7万人の遺骨の中で、名前が分かっていたのはわずか812人(当時)。梶山さんはその1人でした。

2026年元日の朝。渡部さんは平和公園にある原爆慰霊碑を回り、手を合わせていました。年の初めの渡部さんの恒例行事です。
渡部和子さん(81)
「原爆で消えた材木町、天神町、中島本町。ここで普通の生活をしていたんですね」

原爆供養塔の清掃を続ける 渡部和子さん(81)
「この方たちはお家の方に伝えたかったこともたくさんあっただろうに、何一つ遺族に伝えられていない。せめてご自分のお家のお墓に、遺族の方とお会いできてお墓に入っていただきたいですよね」
一人でも多くの遺骨が遺族のもとに戻れるよう、渡部さんはそうじをしながら願い続けています。

◇ ◇ ◇
そうじを始めたのは「遺骨がご遺族のもとに帰れないならせめて供養塔をきれいにするのでゆっくり休んで欲しい」という思いからなんだそうです。毎朝20年も何時間もかけて…本当に頭が下がります。
渡部さんによると、以前は「原爆で母の遺骨が見つからないのでカーネーションを買ってきました」と供えに来る人もいましたが、いまは供養塔を訪ねてくる遺族はめっきり減ったそうです。渡部さんは核兵器のむごさを伝える供養塔の存在を多くの人に知って欲しいと願っています。

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