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「ごめんね」自らの手でロープをかけ…アルコール性認知症の息子(当時55)に絶望し 殺人の罪に問われた母親(80)が法廷で語ったこととは

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5月に広島市の川土手で息子(当時55)を殺害した罪に問われている母親(80)に対し、広島地裁は17日、懲役3年・保護観察付き執行猶予5年の有罪判決を言い渡しました。事件の背景には「息子のアルコール性認知症」がありました。

判決によりますと、広島市中区に住む母親は、回復の見込みが無いアルコール性認知症を患った息子の将来に絶望し、息子を殺害して自分も死のうと思い、5月5日に中区白島九軒町の川土手で、息子の首にロープを巻き付け、絞め付けるなどして殺害しました。

裁判では、自らの手で息子を殺めるまでに至った母親の苦悩や思いが語られました。

アルコール依存症で入退院を繰り返し

初公判が行われた12月8日の法廷

広島地裁で行われた初公判、読み上げられた起訴状に対して母親は「間違いございません」と起訴事実を認めました。この裁判の争点は「母親に対する量刑」でした。

裁判での被告人質問などで、母親が医療保護入院を繰り返す息子のことで苦労した様子が明らかになりました。

息子が酒を飲むようになったのはホテルで勤務していた30年くらい前からだといいます。

Q.息子が酒を飲むようになったきっかけは?
A.夜勤明けのとき昼間に寝られず、酒で寝るようになった
Q.そのときの飲酒量は?
A.多くない、たしなむ程度
Q.飲酒量が増えたのは?
A.2013年ころから個人タクシー運転手として勤務し始めた。それより後のこと
Q.飲酒量が増えた影響は?
A.1ヶ月以上仕事を休み、飲んでは寝てを繰り返すようになった。
Q.どこか相談しなかった? 
A.2018年からはアルコール依存症治療のため、入院や通院を繰り返した
Q.症状は改善した?
A.2014年6月ごろから人が変わったように一生懸命働き始めた
Q.その状態はずっと続いた?
A.12月下旬、前日の飲酒量が多かったので「きょうは仕事に行くな」と言ったことがあった。それから不貞腐れてしまい、一切仕事をしなくなった。

酒をやめることを信じ続け…

送検される母親を乗せた車

息子が酒をやめてくれることを信じて、家事など身の回りの面倒を見続けてきた母親。

そんな中、2025年1月25日、息子はアルコール離脱症候群などによる昏睡状態に陥り、大学病院へ緊急搬送され、そのまま入院。2日後に退院したものの重度の記憶障害(アルコール性認知症)が残りました。

Q.そのときの息子はどんな状態だった?
A.お酒を買いに出るため、靴下を履こうとしていた。でも持っていたのは靴下ではなく、ハンカチやティッシュだった
Q.それを見てどう思った?
A.かわいそうな気持ちでいっぱいだった。この先どうなるのか、元通りになるのか不安だった

2月4日、息子はアルコール性認知症のため、自宅から15km以上離れた病院に医療保護入院することが決まりました。

「回復の見込みはない」と告げられても

事件発覚直後の川土手周辺

医療保護入院が始まる頃には”自分がどこにいるのか”も分からない状態だった息子。医師から「回復の見込みは無い」と告げられ、母親は「目の前が真っ暗になった」といいます。

それでも、母親は「少しでも良くなるかもしれない」との思いから、週に1度だけ許されていた15分間の面会のため、片道1時間以上掛けて、毎週欠かすことなく病院に通いました。

Q.入院中の息子はどんな様子だった?
A.とても穏やかな様子だった
Q.入院期間中はずっと病院にいた?
A.1日だけ日帰りの外出許可が出たので自宅に帰った
Q.そのときの様子は?
A.入院中と変わらず穏やかで「病院に戻らず、ここにいたい」と言っていた
Q.それを見てどう思った?
A.もう家でも面倒見られるだろうと思った
Q.医師はどう言っていた?
A.「飲酒の欲求が強く、入院しないと意味が無い」と言っていた

その後、母親は医師からの入院継続の提案を断り、息子の退院が決まりました。

退院するも「病院に帰りたい」様子が一変し

自宅で行われた家宅捜索の様子

医療保護入院の期間が終了した5月2日。息子は帰宅し、母親、父親、息子の3人での生活が始まります。

しかし、退院した息子の様子は入院時とは大きく異なりました。

Q.自宅での息子はどんな様子だった?
A.落ち着かなかった。「病院に帰りたい」と言いながらウロウロしていた
Q.次の日はどうだった?
A.そこから酒を求めるようになり、やりきれない思いだった
Q.以降もその様子は変わらなかった? 
A.4日まではノンアルコールビールや処方薬で対処したが、「面倒を見るのは難しいかな」と思った
Q.5日はどうだった?
A.「子どもの日だ。時間が無いから酒を買いに行かんと」と繰り返し言いながら、部屋を出たり入ったりしていた
Q.それを見てどう思った?
A.「もう終わりかな」と思った。息子を楽にしてやりたかった
Q.その後どうした?
A.ロープと睡眠導入剤を持って、息子と一緒に外へ出た

息子を連れた母親は、家の前でタクシーに乗車しました。

「ごめんね」と何度も声をかけて

事件翌日に行われた鑑識作業

「お墓がある寺の近く」という理由で、「自宅から約4km離れた白島九軒町のホームセンター」を降車地に指定。そこは事件現場となった川土手のすぐ近くでした。

タクシーを降りた母親と息子はホームセンターで缶ビールを購入。そのまま川土手へ向かいました。

Q.川土手で何をした?
A.息子に缶ビールを飲ませた後、「元気が出る薬」と嘘をついて睡眠導入剤を飲ませた
Q.息子はどうなった?
A.座ったまま眠り始めた
Q.その後どうした?
A.息子を横にした状態でロープで首を力一杯絞めた
Q.首を絞めている間、何か声をかけた?
A.名前を呼びながら「ごめんね」と何度も声をかけた
Q.そのまま息子は死んだ?
A.脈が無いことを確認した。せめてもの思いで乱れた服を整え、頭の下に新聞紙を敷き、顔にハンカチを被せた
Q.その後どうした?
A.「私も一緒に死のう」とロープを掛けられる木を探したが、残された夫の顔が頭によぎり、一緒に逝けなかった

5月5日午後6時56分。母親は近くの交番を訪れ、備え付けの電話で自首しました。

「また来世で会えることを信じて」

公判が結審した12月10日の法廷

裁判で、検察側は、「同情すべき点ばかりではない」として、「懲役8年」を求刑。一方、弁護側は、「長期間息子の病状回復のために尽くしてきたなど、同情すべき点が多い」とした上で、自首が成立していることからも「執行猶予付きの判決」を求めました。

最終陳述で母親は声を震わせながら…。

「私は息子を殺める大変重い罪を犯しました。一緒に逝くと思っていました。本当に申し訳無い思いでいっぱいです。これからの日々は息子の供養と迷惑を掛けた周囲への償いをしていきたいと思います。また来世で息子に会えることを信じて生きていきたいと思います」

裁判所の判断は

判決が言い渡された12月17日の法廷

そして迎えた判決の日。

広島地裁の後藤有己裁判長は「息子の生命を奪った結果は重大である」とした上で、「7年近く息子の世話をしながらアルコール依存症克服のために努力してきたが、治療に消極的な息子に思い悩み、合理的・理性的な判断ができずに犯行に及んだ経緯や心情は同情すべき面がある」と指摘。

「自首の成立や遺族に処罰感情が無いことを踏まえ、法律上最大限の期間の執行猶予と保護観察によって犯した罪の重さに向き合わせるのが妥当」として、懲役3年・保護観察付きの執行猶予5年の判決を言い渡しました。

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