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WEBコラム「お好み ひとくちメモ」その⑤【8月の広島】

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焼け野原となった戦後の広島の街の復興とともにあったお好み焼…。
「お好みたべたい」は、作家・清水浩司さんによる関係者への取材とRCCに残る井畝満夫さんに関する資料などを基に構成・創作するオリジナルストーリーです。
清水さんが取材を通して知ったあんな話、こんな話をWEBコラム「お好み ひとくちメモ」にしました。

みっちゃんと一緒に地方のローカルフードだったお好み焼を全国区に広げたオタフクソースの最高顧問・佐々木尉文(ささき・やすふみ)さん。

佐々木さんは「お好み焼は戦後の広島でできた食べ物。廃墟にも鉄板は転がっていた。熱源さえあれば作れた。だからお好みソースはメイド・イン・広島だし、もし私たちが東京や大阪の会社だったら今のオタフクはない」と言い切ります。

戦後の広島でお好み焼が誕生した背景には、当時の広島には鉄を扱う工場が多く、比較的鉄板が手に入りやすい環境だったこと、アメリカから食料物資として小麦粉が配給されたことなどが挙げられます。

悲しみと貧しさの中、限られた資源を使ってなんとかおいしく、元気が出る料理を作ろうとした工夫の結果がお好み焼を生んだのです。

現在広島にあるオタフクソース本社の玄関前には「真の道を悟り 深くざんげし合い 世界平和を 心から 祈りましょう」という創業者・佐々木清一(ささき・せいいち)さんの言葉が石碑に刻まれています。
(取材・執筆 清水浩司)

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