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東京の美術館で写真や映像を通じて被爆の惨状を伝える企画展が開かれています。6月29日には、被爆2か月後の映像に写る被爆者が、自身の体験を語りました。
東京都写真美術館(東京・目黒区)で開かれている被爆80年企画展「ヒロシマ1945」。原爆投下後の写真や映像を通じて広島の惨状を伝えるものです。そこに流れる映像の中に、被爆2か月後に撮影された広島の姿が刻まれています。
この映像は日本映画社のスタッフによって撮影されました。東京の倉庫に密かに保管され、1993年に見つかりました。

6月29日には、企画展に関するイベントが開かれ、この映像にゆかりの深い人たちが登壇しました。
日本映画社の流れをくむ日映映像東京支社長の山内隆治さんは「アメリカ軍の接収を逃れるために当時のスタッフが残していたものだ」と撮影された背景やフィルムが後世に残っていた経緯を説明しました。
また、撮影を担当した鈴木喜代治さんの孫、能勢 広さんも参加。祖父が書き残した撮影メモを見せながら、当時のスタッフの思いを伝えました。

能勢 広さん
「この惨状を記録していかないといけないという使命をやはり感じて撮影していたんだろうと思います」

映像には、頭に包帯を巻きおんぶされている男の子の姿もあります。「かわいいでしょう」。登壇しそう話すのは、広島県呉市に住む竹本秀雄さん(83)です。
映像に映るおんぶされた男の子、その人です。
当時3歳。爆心地から1キロの自宅で被爆しました。その際、顔に深い傷を負いました。この映像は、その治療を受けた帰りに撮影されたとみられます。

映像にうつる「おんぶの男の子」竹本秀雄さん
原爆で、13歳だった姉を奪われ、いまも放射線に苦しむ被爆者がいることに触れ訴えました。
竹本秀雄さん
「たった1発で約14万人が亡くなった。被爆者はいまだに、生きとる人はいまだに苦しんでいる。原爆は絶対反対です。私も長生きをして、頑張ろうと思う」
竹本さんがそう話すと、集まった約120人から大きな拍手が上がりました。
被爆80年企画展「ヒロシマ1945」は8月17日まで開催しています。
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