50年前の3月10日、山陽新幹線の新大阪ー博多間が全線開業しました。人の流れも暮らしも大きく変えた、夢の超特急…。広島ならではの“あの味”も、全国に広がりました。
記念モニュメント除幕式典には、湯崎知事や広島市の松井市長のほか、開業と同じ年に生まれた元カープの黒田博樹さんも出席しました。黒田さんがサインした新幹線運転士の制帽とサインボールのほか、歴代新幹線の模型を展示する開業記念のモニュメントが除幕されました。
広島カープOB 黒田博樹さん
「いつの間にか50歳になってしまいました。広島カープ初優勝から50年と非常に深い縁を感じて、ここに来ました」
黒田さんは、現役時代に5回、開幕投手を務めましたが、いずれも相手チームの本拠地での登板でした。
広島カープOB 黒田博樹さん
「今シーズンの緊張感、高揚感を持ちながら新幹線に乗っていったのを、非常に懐かしく、いまでも鮮明に覚えています」
カープだけでなく、50年間、夢や希望を乗せて走り続けている山陽新幹線…。これまでおよそ30億人が利用しました。
東京に行く場合、開通前は、広島から2時間以上かけて岡山まで向かい、新幹線に乗り換えていました。
トータル“7時間弱”の道のりでしたが、全線開通と共に当時“5時間8分”の所要時間と、劇的に短縮しました。
その新幹線とともに、「広島の味」も全国にひろがっていきます。
「広島行ったらアレ買ってきて」
「いけね!アレ忘れとった」
「東京でも大阪でも売ってないんですよ」
開通後に放送されたオタフクソースのCMです。当時の新幹線ホームで、撮影されました。
オタフクソース 広報部 児玉崇 部長
「(当時)私は子どもでしたが、衝撃をうけて、これで広がっていくんだなと思った。広島しか販売されていなかったので、ご当地自慢の商品だった。広島の人が『広めたい』と、お土産に買って行っていた。というのが、CM制作の経緯です」
当時のお好みソースは、ガラス瓶での販売だったそうです。
オタフクソース 広報部 児玉崇 部長
「(CMでは)重そうに運んでいるが、当時は『爆弾ソース』と言われていた。発酵して爆発していたので、密閉性の高い瓶でしか売れなかった」
実際におみやげにお好みソースを買ったお客さんが、どの程度いたかは分かりませんが、ソースの認知度や販売数は『爆発的』に全国へ拡大したそうです。
オタフクソース 広報部 児玉崇 部長
「東京・大阪の販売店から『取引したい』という声が非常に増えました。新幹線の発展と共に、オタフクソースも全国へ拡大するができましたので、今後もさらなる新幹線の発展と共に、我々も一緒に歩んでいければと思います」
現在の山陽新幹線は、車両の進化や時速300キロでの運転をすることで、広島~東京間を開業時より“1時間25分”短く、“3時間43分”まで縮めました。
JR西日本 佐伯祥一 中国統括本部長
「これまで、乗り心地の改善や利便性の向上に向けて、様々な取組みをしてきたところです」
その中で、広島を発着する新幹線のぞみの本数は、上下線あわせて1日50本と倍増し、人の交流はさらに活発化しています。
JR西日本 佐伯祥一 中国統括本部長
「新幹線に付帯する様々なビジネスの展開多くの人の交流を広げたと思っております。様々なニーズがございますので、キャッチアップしながらよりよい質の高い新幹線をめざしてまいりたい」
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