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「広島・長崎の庶民の歴史を世界史にする」亡くなった祖父は言った 日本被団協 初代事務局長 藤居平一 あすノーベル平和賞授賞式(ノルウェー・オスロ)

あす10日、日本被団協のノーベル平和賞授賞式が行われるノルウェー・オスロから 松本清孝 記者のリポートです。

松本清孝 記者
 母方祖父が日本被団協 初代事務局長 藤居平一
 父方祖父は広島市中心部で被爆死

ノルウェーの首都オスロ市内です。日の出まであと1時間ぐらいなので山の方とか少し明るさが出てきたかなという感じです。この建物は、ノーベル平和センターです。過去にノーベル平和賞を受賞した方がたの紹介などがあったり、2階ではきょう(9日)午前11時から日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の特別展示が行われます。

きのう8日にちょっと入らせていただいたんですけど、「はだしのゲン」のアニメがあったり、キノコ雲の写真や被爆の実相を伝える原爆資料館にあるような写真があったり、あとは被爆者の方がたのたくさんの顔が写ったあのパネルが置いてあったりしています。9日から3日間、たくさんの人が訪れることになると思います。

このノーベル平和センターは、午前11時開館します。月・火は休館日なんですけど、この時期はノーベル平和賞授賞式に合わせて9日も11時に開館する予定です。

こちらはショップになっていて、一番の “定番” が、レジの奥に見える、ノーベル平和賞の金メダルをかたどったチョコレートということです。今、店が開いていないので、きのう買っておいたものを見ていただきます。

本物といっしょのように直径6.6センチ。本物は18金で作ってあるそうですが、これはもう銀紙と、中がチョコレート。1個食べましたが、すごくおいしくて、おみやげの定番ということで持って帰ります。

ちょっとノルウェーらしいところも紹介します。平和センターの奥にあるのが、オスロ国立美術館です。かなり巨大な美術館で、所蔵数も相当なものなんですけど、あの中に有名なノルウェーの作家ムンクの「叫び」が展示されています。「ムンクの叫び」って4点か5点、いろんなリトグラフとかいろんな形であるんですけど、一番有名なムンクの叫びの絵が、この奥の建物にあって、見に行ったんです。

驚いたのが、写真撮影とかビデオとか、いくらでも撮っていいということです。観光客は、ぼくと同じように写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしていました。

ノーベル平和賞がなぜノルウェーで授賞式が行われるかなんですが、もともと、ノーベル賞はみなさん、ご存知のダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが遺言によって、人類に最も貢献した人々に与えられる賞を設立して、スウェーデン出身なので平和賞以外の賞は全部、スウェーデンで選考・授賞が行われます。

平和賞だけが選考も授賞もノルウェーで行われるんですけど、これはノーベル賞ができる当時、スカンジナビア半島を二分して隣り合ったスウェーデンとノルウェーはずっと争いの期間が長くて、その当時、だんだん和平が築かれてきて、未来にこの平和が続くようにとノーベルが祈って、平和賞だけノルウェーで選考・授賞するようになったといわれています。諸説ありですが、それで平和賞はノルウェーで選考・授賞が行われるようになりました。

移動しながら日本被団協の話をしたいんです。正面に見えるのが、あす10日、授賞式が開かれるオスロ市庁舎です。正時、午前8時や9時になるとチャイムが鳴ったりして、すごく荘厳な、きれいな市庁舎です。

その日本被団協なんですが、広島の方でも日本被団協がノーベル平和賞に選ばれたと聞いて、正式名称ってなかなか全員が言えるわけじゃないと思うんですが、日本原水爆被害者団体協議会という名前です。わたしが今回、取材に来た理由は、母方の祖父が日本被団協の初代事務局(藤居平一)だったことからです。

 故・藤居平一(1996年没・広島出身)
 ノーベル平和賞が贈られる日本被団協の初代事務局長
 私財を投げ打って活動し、“被爆者運動の父” と呼ばれた

祖父は、私財を投げ打って活動に身を投じて、母とかに思い出話を聞くと、小学校のときに遠足の日があって、祖父から「遠足は勉強じゃないから、勉強を休んじゃいけないけど、遠足は休んで募金に行こう」ということで、いっしょにほかのきょうだいとたちと募金箱を首からぶら下げて、そごう広島店(広島市中心部)前に行ったりした経験があるそうです。

祖父の活動を紐解くと、日本被団協は「自らの経験をとおして人類の危機を救おうと決意し、誓い合った」というのがありました。それは、今回のノーベル平和賞授賞理由と完全に合致していて、今回の選考委員会も彼ら被爆者の経験やこれまでの活動が、これまでの核の不使用につながっていると。彼らが核のタブーを形成してきたということが授賞の理由になっていました。

 ノーベル平和賞 授賞理由(抜粋)
「人類の歴史で今こそ核兵器とは何かを思い起こす価値がある。それは世界がかつて経験した最も破壊的な兵器だ。授与することで肉体的苦しみやつらい記憶を平和への希望や取り組みを育むことに生かす選択をした全ての被爆者に敬意を表したい」

まさに本当に人類の危機に、再び被爆者たちの経験が必要とされていると感じています。さきほど言ったように日本被団協は、日本原水爆被害者団体協議会ということで、定義として “被爆者” と “被害者” はちょっと違うんですけど、今回は被爆者の経験を授賞の理由にされていました。

もう一つ、祖父のよく言っていたのが、「広島・長崎の庶民の歴史を世界史にする」(藤居平一 連絡文書)という言葉がありました。これまで日本では前回の受賞が、非核三原則を掲げた1974年の佐藤栄作元首相。2009年にオバマ元大統領が核なき世界を提言して受賞しました。続いて近年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)や今回の日本被団協のように、大国の指導者とか、なにか特殊能力を持った方がたではなくて、本当に一般市民・庶民が今回、祖父の言葉どおり世界史に刻まれる瞬間が訪れようとしていると感じています。

もちろん、被爆者の中には「お祭り騒ぎじゃないんだ」と、「そもそも原爆なんて落ちなければ、こんなことにならなかった」とおっしゃっている方もいらっしゃるので、あんまり盛大な拍手をもってという感じではないかもしれませんが、とにかく広島・長崎の経験をもとに、今ある平和とこれからの平和を考える機会にしたいと思っています。

青山高治 キャスター
オスロに到着された日本被団協代表団のみなさんの様子はいかがでした? 疲れとかだいじょうぶそうでしたか?

松本清孝 記者
やっぱり高齢の被爆者のみなさんが多いので「かなり疲れた」「寝られなかった」とおっしゃっている方はいらっしゃいましたが、やる気に満ちあふれているというか、これをきっかけに必ず世界をもっとよくしてやるという意気込みにあふれてるように感じました。

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