あす10日、日本被団協のノーベル平和賞授賞式が行われるノルウェー・オスロから 松本清孝 記者に伝えてもらいます。
松本清孝 記者
母方祖父が日本被団協 初代事務局長 藤居平一
父方祖父は広島市中心部で被爆死
ノーベル平和賞授賞式が行われるノルウェーの首都オスロに来ています。今、現地時間の午前7時44分ぐらいですか。あたりがまだかなり暗いです。この時期のオスロの日の出が9時半ぐらい、そして日没が午後3時半ぐらいで、日照時間が6時間ぐらいしかないんです。
きのう9日、わたしたちは入ったんですが、ほとんど夜を過ごしているような感覚になっています。気温はマイナス4℃です。最高気温がマイナス3~4℃で、最低はマイナス8℃ぐらいで推移していて、北欧の冬なのでかなり寒いです。
今、わたしがいるのは、国会議事堂の前の公園になります。ぐるっと回ると観覧車があって、その手前にはクリスマスマーケットが広がっているんですが、11・12・1月限定で毎年、こういった形でにぎわうということです。あの観覧車は3か月だけということで、3か月以外どこにあるんですかって係員の人に聞いたら、よくわからないとおっしゃっていました。あんな巨大なものをどうするんだろうと思いながら、きれいだなと思って見ています。
ぐるっと回ってグランドホテルです。9日夜、オスロに到着した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の代表団のみなさんの宿泊先です。長旅の疲れを癒して、今、眠っていらっしゃるというふうにお伝えしようと思ったんですが、さっき、取材していると日本被団協 代表委員の 箕牧智之 さんが朝食のために降りてこられました。どうですかって話を聞くと「もう疲れて寝られやせんかった」と。「ただ、やるぞ」とおっしゃっていました。
あす10日が授賞式ですが、9日・10日・11日と3日間、被団協のみなさんはかなり詰まったスケジュールで動かれます。被爆証言やセレモニー・晩餐会、また、いろんなところで自分たちの経験や核兵器廃絶を伝えていきたいという意気込みに満ちあふれてらっしゃいました。
わたしが今回、オスロに来たのは、わたしの祖父(藤居平一)が日本被団協の初代事務局長だったという縁でやってまいりました。祖父は、私財を投じて被爆者運動に身を投じて、わたしも小さいころから「原爆とは、核兵器とは、被爆者運動とは」ということを耳にして育ちました。もう亡くなってしまったんですが、あすの授賞式を遺影とともにしっかり見届けたいなと思っています。
** 故・藤居平一**(1996年没・広島出身)
ノーベル平和賞が贈られる日本被団協の初代事務局長
私財を投げ打って活動し、“被爆者運動の父” と呼ばれた
その祖父の活動を紐解くと、日本被団協の結成宣言の中に「かくて私たちは自らを救うとともに 私たちの体験をとおして人類の危機を救おうと決意を誓い合ったのであります」という文言があります。まさに今、核兵器の使用が示唆されるなど、人類の危機だと思っています。わたしたちも日本からこちらに飛行機で飛ぶときにロシア上空を大きく迂回して遠回りしてやってきました。今、世界が必要としている被爆者たちの声、きょうから3日間、しっかり取材していきたいと思います。
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