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【RCC東京通信】いざオスロへ 先人たちへの思い胸に 日本被団協 田中煕巳代表委員 ノーベル平和賞授賞式で講演

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

授賞式を前に会見した田中熙巳代表委員 12月2日 都内

いよいよ今月10日に迫ったノーベル平和賞授賞式。

約20分の講演をする田中熙巳代表委員(92)は受賞決定後、「寝ても覚めても」頭の中に原稿のことがあり、風邪で体調を崩しながら1か月あまりかけて草稿を書き上げたという。

「相談する人がいない。寂しい思い、悔しい思いがしていました」

講演原稿の執筆で被団協の歴史を振り返る際、確認したいことがあってもすでに多くの仲間がこの世を去り、叶わなかった。

その心境をこう明かした。

講演では被団協の歴史に重点を置く。

被団協の運動内容が外国では意外と知られていないと感じるからだ。

核兵器廃絶を訴えてきただけではない。
人類史上未曾有の惨禍に遭いながらも十分な救済を受けられない原爆被害者のために援護策を国や政治家に働きかけてきたのが被団協だ。

その歴史は亡くなった数多の仲間たちの運動の記録でもある。

いまNIHON HIDANKYOは国際語になった。

田中熙巳代表委員は先人たちに「皆さんたちの努力がここまで実ったよと」と報告したいという。

「受賞をきっかけにこれまでと違った世界的な大きな広がりの運動になっていける」とも。

講演は被団協の歴史を紡いできた先人たちへのオマージュともなろう。

田中熙巳(てるみ)さん
1932年4月 旧満州生まれ
子どもの頃は戦争指導者になりたかった。13歳のときに長崎市内の自宅で被爆。親族5人を亡くす。原爆投下3日後に遺体が散乱したまちを歩いた。核兵器を「兵器に値しない悪魔の道具」と表現する。

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