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【RCC東京通信】記憶はなくとも…心の底にある、語り継ぎたい思い 生後24日の被爆者

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

東京都練馬区の被爆者団体が開いた新春の集いに招かれた。

この日は会員の被爆者19人が参加していた。

生後24日で長崎で被爆した古舘 昭(ふるたて あきら)さんもその一人だ。

最も若い被爆者ということで乾杯の発声も任された。

「私は原爆を語ると言っても生まれたばっかりで何にもわかんない」 と語る古舘さんだが、この日は驚く出会いがあった。

小さいころに母親から聞いていた原爆投下後のエピソードとつながる話を同じテーブルに座った95歳の参加者の男性から聞いたからだ。

古舘さんの自宅は救護所になった長与小学校(当時国民学校)の近くにあった。

古舘さんの母親は道路に出て、長崎市内から長与小学校に逃れる負傷者に対して焼けただれた皮膚に菜種油を塗ってあげたそうだ。

95歳の男性は、長与小学校でむしろの上に寝かされて養生していたと古舘さんに体験を語ったという。

「本当にあったんだ」と古舘さんは興奮したように私に話してくれた。

古舘昭さん: 父親は1945年4月26日の長崎空襲で亡くなった 生まれる前のことだ

「原爆を語り継ぐうえで自分が何をできるのか見つけていかないといけない」 と語る1945年7月生まれの古舘さん。

「戦後何年、被爆何年と、年齢が同じだから、ずっとついてくるんですよね。」

最後に穏やかに微笑みながら語ってくれた。

当時の記憶はなくとも原爆のことは一生頭を離れない。

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