15年前、三浦由美子さんは、飲酒運転の車に息子・伊織さん(当時高校2年生)を奪われました。「加害者にも、被害者にもならないために」。三浦さんは、いびつに変形した息子の自転車とともに、各地で自身の体験を伝えています。(1回目から続く)

2011年5月、伊織さんは広島市安佐南区の県道で車にはねられました。飲酒運転の車でした。

知らせを聞いて由美子さんが病院に駆けつけましたが、再会したのは、変わり果てた伊織さんでした。

「明るすぎるくらい元気だった」妹が

三浦伊織さん(由美子さん提供)

当時中学3年生だった伊織さんの妹は、事故当日、伊織さんを「いってらっしゃい」と見送りました。そのためか、自分を責める気持ちが人一倍強かったといいます。

事故からしばらく経ったあと体調を崩し、「ご飯が食べられない」「夜も眠れない」ことを、由美子さんに打ち明けました。

三浦由美子さん
「私は頭をガツンと殴られたような気分でした。それまで明るすぎるくらい元気に過ごしていたように見えていたからです」

夫も由美子さんも、事故後に仕事を辞めました。最愛の息子の死は、家族全体の生活を根底から変えました。

裁判「加害者は表情一つ変えず…」

事故から8ヶ月後、刑事裁判が始まりました。

由美子さんは事前に約40回、別の裁判を傍聴していました。目的は二つありました。

一つは、被害者参加制度について、書籍で学んでも掴みきれなかった専門用語や流れを自分に落とし込むこと。

もう一つは、裁判官や検察官に顔を覚えてもらい、一生に一度の機会にどれほどの思いで臨んでいるかを感じてもらうことでした。

加害者は初公判の日、頭を丸め、祖母に買ってもらったというスーツを着て出廷しました。

「私たちは正面に座った加害者を見て怒りで体が震えていましたが、加害者は遺体の写真がモニターに映し出された時ですら、表情一つ変えず堂々と眺めていました」

「反省していますと言っていたが…」下された判決

被告人質問の場で加害者は、覚えていなかったはずの事故前の状況をこと細かに語りました。その言葉が家族を傷つけていることを、全く理解していないように見えたといいます。

三浦由美子さん
「伊織の命を奪った加害者が『反省しています』『あがないのために自分にできることは何でもします』と言っていましたが、私たちには罪を軽くしてもらうための謝罪にしか聞こえませんでした」

飲酒運転の常習性や、事故前後の言動から危険運転致死罪が適用され、懲役10年の判決が言い渡されました。

加害者は、控訴しませんでした。

「心を砕けば砕くほど、恨みが募っていく私がいた」恨みの果てに見つけたことは【3回目へ】

伊織さんが使っていたヘルメット