15年前の東日本大震災では、原発事故が起き、多くの人々の人生を変えました。福島から広島に避難・移住し、牧場を営む夫婦がいます。夫婦の決断と15年の歩みを取材しました。

庄原市口和町の「ふくふく牧場」。福元紀生さんの1日は、4頭の牛の世話から始まります。

ふくふく牧場 福元紀生さん
「この子は『こごみ(9歳)』。こちらが『みつば(3歳)』。みつばは初めて出産した。まだ若くて警戒心が強い」

生活の糧にするのは「牛乳」です。

ふくふく牧場 福元紀生さん
「牛乳は命を奪わずに得られる食料で、すごく感動的。かわいいし、ペットとも違うし、家族とも違う。ありがたい存在」

「放牧」で牛を育て

福元さんは、生乳をチーズに加工して販売。妻の奈津さんと、「放牧」で牛を育てます。

福元奈津さん
「あ、来たきた。走ってる走ってる。やっぱりうれしいんだね」

福元紀生さん
「暑い・寒いなど自然のストレスはあるが、それは命を強くするストレス。むしろあった方がいい。人間由来のストレスはないと思う」

ここは、夫婦にとって2か所目の牧場です。「ふくふく牧場」は、もともと「福島」にありました。

福元紀生さん
「『福元』と『福島』をかけて『ふくふく』。まさか移転するなんて、当時は思ったこともなかった…」

「夫婦で牧場経営が夢」福島県いわき市に移住し開拓スタート

福島県いわき市の山奥に移住し、夫婦が牧場を始めたのは2008年のことでした。広大な土地を求めて全国を探し回り、ようやく見つけた理想郷でした。

少子高齢化が進む山あいの集落は、若い2人の移住を歓迎。牛の世話や牧場の整備にも、力を貸してくれました。

豊かな自然と温かな人に囲まれ、幸せな暮らしでした。あの日までは…。

全てを変えた3月11日

2011年3月11日 午後2時46分―。

福元紀生さん
「家で休憩していたら、下から突き上げるようなドーンという揺れがあった…」

夫婦や牛に幸いけがはありませんでしたが、震災直後に福島第一原発事故が発生。牧場は原発から、およそ60キロの場所でした。

福元紀生さん(2012年当時)
「原発事故を知ってからは、外にも出られない。でも牛の世話もしなければならない。牛の世話をするのはホコリもかぶるし、土も触るし、当然空気も吸う。自宅待機と言われても、そんなの無理…。そうした中で生活するのは、おかしくなるし、本当に怖い」

牧場の近くでも高い値の放射線 迫られた決断

牧場近くでも高い値の放射線が検出されました。

福元奈津さん(2012年当時)
「酪農という生き方を捨てて、あのまちで生きていく方法もいろいろ考えたが、夢をまだ追いたいなと思って、移ることを決めた」

夫婦は、紀生さんの実家がある広島への移住を決断。およそ1000キロの道のりを、牛を乗せて走りました。

福元紀生さん
「受け入れてくれた方々に対して、離れていってしまうという、裏切るような感覚で、すごく申し訳ない気持ちで辛かった」

夫妻を受け入れてくれた広島県庄原市「心が救われた」

広島で放牧地を探す夫婦に、手を差し伸べてくれたのが庄原市口和町の人たちでした。

口和自治振興区 清水孝清区長
「せっかく庄原に来られたんなら、受け入れ態勢をしたい。地域も一緒になって、牛舎・住宅の補修をした」

福元紀生さん
「震災後、福島県民は汚れたものでも見るように…。そうした中で受け入れていただいたのは、すごくうれしかったし、心が救われる思いだった」

夫婦で山を開拓「循環型の牧場」再建へ

夫婦2人で4ヘクタールの山を開拓。面積は福島時代の10分の1になりましたが、2013年に「ふくふく牧場」を再開させました。

福元紀生さん
「10年ぐらいはやっぱり、2回目か…という思いがあった。開拓2回目はあまり聞かない」

福元奈津さん
「ゴミの片付けからまた始まるのは、しんどかったね」

夫婦が目指しているのは「循環型」の酪農です。

福元紀生さん
「今から春になって暖かくなると、自然の草が生えてくるのでそれをまた食べる。フンは肥料になってまた草が伸びる。循環していく暮らしが憧れ」

福島第一原発の事故から15年…。原発再稼働の動きが、全国で進んでいます。

福元奈津さん
「山ではこの落ち葉は宝。これが土壌豊かにしていくから。放射能汚染を受けてしまったら、これが行ったところがまた汚染されて、それが巡っていく。今まで生活の中の喜びだったものが怖いものになる」

「庄原が好き」震災後に生まれた娘3人は、ここがふるさと

「ふくふく牧場」はチーズの店頭販売以外に、イベント出店や配達もしています。地域の人と顔を合わせる大切な時間です。

菓子店・岩本涼子さん
「脂肪分が高いので濃厚。チーズのファンになった。福元さんの人柄が表れている」
福元奈津さん
「元気もらえる。ありがとう」

萬福寺・髙橋道英住職
「がんばってくれている顔が見られる、もう半分親のような気分なので私は」

震災後、夫婦には3人の娘が生まれました。子どもたちにとっては、ここがふるさとです。長女の埜々花さんは中学1年生になりました。

長女・福元埜々花さん
「自然がいっぱいで、どこかに行かなくても、家で楽しめることがいっぱいある。この庄原が好き」

「地域に支えられて、何とか続けられた」

庄原市では、毎年3月に東日本大震災の法要が営まれています。26年もおよそ70人が参列し、祈りを捧げました。

萬福寺・髙橋道英住職
「決して忘れてはいけないことだと思うし、東北だけのことではない。いつどこで地震が起こるかわからない。できるだけ長く続けたい」

福元さん一家も、毎年参列しています。埜々花さんは、両親の人生を変えた原発事故についても理解しています。

長女・福元埜々花さん
「知らない場所で、イチから始めるのは、すごくがんばってきたんだなと思う」

福元紀生さん
「こうして家族にも恵まれて、地域の方々にも支えられて、なんとか続けてこられている」

「ことしも春がきた…」あの日から15年

紀生さんは娘たちに、「後悔しない生き方をしてほしい」と伝えます。

福元紀生さん
「何を心の拠り所にするか、難しい判断を迫られて、何を基準にそれを選ぶかというときに、自分も大事に、人のことも大事にしてほしいなと思う」

シイタケを採る福元紀生さん
「10センチくらい。小さいのもおいしいが、大きいのもいい。こうして自然のものを『やった!ことしも春が来たね』と言って食べられるのが、最高にうれしい」

「春」がまた訪れました。あの日から15年です。