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「娘を抱くこともできなくなった」。11年前、広島県福山市に住む藤井佳奈さん(50)は、一瞬にして首から下が動かなくなりました。交通事故でした。絶望の淵にいた藤井さんを救ったのは娘からの言葉でした。「できないことを数えるより、できることを数えよう」。藤井さんの前向きな姿勢は、多くの人々を巻き込みながら、新たな可能性を広げています。
「あと1歩、2歩で道を渡り切るところを左側から来た軽自動車にはねられ、一瞬にして10m以上飛ばされてしまいました」
広島市の大学で11月下旬に開かれた講演会。オンラインで参加した藤井さんは、学生たちに自身の体験を語りました。

大学とオンラインでつなぎ自身の体験を話す藤井さん
藤井さんは、尾道市の小さな島で生まれ育ちました。その後福山市に嫁ぎ、一人娘を授かりました。離婚してからは、シングルマザーとして「バリバリキャリアウーマンとして働いていた」といいます。そんな藤井さんの人生は、11年前に大きく変わります。
当時、娘は小学校6年生。藤井さんが仕事を終えて帰宅途中、交差点を渡ろうとしたときでした。前方不注意だった軽自動車にはねられました。この事故で藤井さんは頸髄を損傷し、首から下が麻痺して動かなくなってしまいました。
「ICUに入って記憶が2週間ほどありませんでした。娘も未成年ということでICUには入ることができなかった」
左骨盤、左足首も骨折し、医師からは「足首がきれいに治らなかったら切断するかもしれない」と言われたそうです。
さらに、立ち上がるだけで血圧が急激に下がり、胸が苦しくなって失神してしまう症状も現れました。自律神経も損傷し、汗をかくことができなくなりました。

藤井佳奈さん提供
病室に移り、ようやく娘と会うことができた藤井さん。しかし、「母さん、大丈夫?」と言った娘を抱きしめることも、近くに行くこともできませんでした。ベッドで天井しか見えない状態でした。
この時点で藤井さんは、一生歩けなくなるとは思っていませんでした。ただ「何か大きいことが起こった」という認識だけはあったといいます。
病院からは「ここでは治療ができない」と言われ、岡山県のリハビリ病院への転院を勧められました。県外への転院に当初は抵抗がありましたが、「リハビリ病院に行けば、車椅子でも手を借りて娘の卒業式に行けるかもしれない」という医師の言葉に、希望を見出します。
「娘にまた会いたい、娘の卒業式に行きたいという目標を掲げて、リハビリ病院へ行くことを決意しました」
転院先の岡山県のリハビリ病院で、藤井さんは厳しいリハビリに取り組みます。しかし、ベッド上で泣くことさえ体に負担がかかる状態で、「こんなんしてても意味ないじゃん」と毎日泣いていたといいます。
娘の卒業式に参加するには様々な条件がありました。体感がないため、圧迫による床ずれのリスクがあり、特殊なベッドのレンタルが必要でした。夜間も体位を変えるケアが必要で、周囲の協力なしでは外泊すら難しい状況でした。
それでも様々な条件をクリアして、藤井さんは娘の卒業式に参加することに。化粧も服の着替えも自分ではできない状態でしたが、周囲の人々の助けを借りて準備し、車椅子に乗って式に臨みました。
「この日、本当に久しぶりに外に出たし、入院してやっと行けた卒業式。私は娘とバイバイをして病院でまた涙が溢れました。とっても嬉しかったんです」

しかし同時に、現実も突きつけられました。自宅には階段があり、一人では入ることもできない。ベッドに横になれば何も動けず、泣いても自分で涙を拭くこともできません。「外での生活はできないんじゃないか」と深く落ち込んだといいます。
リハビリ病院では、こうした患者の心理的ケアも行っていました。「やれることやっていこう。頑張ろう」と医師に励まされ、藤井さんは「できることを増やしていこう」と前向きに考え始めます。
リハビリを続けながら、娘との初めての外泊体験にも挑戦します。岡山駅前のバリアフリールームがあるホテルで一泊することになりました。
この時、藤井さんは娘に「車椅子押すの目立つよね、人の目とか気にならない?」と尋ねました。車椅子で外出することへの不安があったのです。しかし娘からは予想外の答えが返ってきました。
「母さん、何を言うんよ。ここまで頑張ってきたんよ。かっこいいわ。むしろ、見てほしいわ」

この言葉に藤井さんは大きな勇気をもらいました。
「首を損傷しているので、車椅子を押してくれている娘の方を振り返ることもできませんでした。まっすぐ前を見ることしかできなかったんですけど、私はこの娘の言葉で『よし、また頑張れる』と思った」
リハビリを通して、藤井さんは様々なことができるようになっていきます。手に滑り止めをつけて箸を持ったり、うつ伏せから四つん這いに挑戦したり、少しずつ日常動作を取り戻していきました。
リハビリ病院での1年3ヶ月の入院を経て退院。娘と再び生活を始めました。娘が高校生になり、ある雨の日のことでした。いつもは元気な娘が帰宅後に元気がなく、理由を尋ねました。すると「友達のお母さんが迎えに来てたんだよね。お母さん迎えに来れる?」という何気ない一言がありました。
娘は藤井さんが車の運転ができないことを理解していました。しかし、その表情を見た藤井さんは「この子のためにまた送り迎えをしてやりたい。車の運転をしたい」と強く思いました。

「諦めたくない」という気持ちで、藤井さんは再び入院し、車の運転トレーニングを始めます。車椅子から車への乗り込み、車椅子の積み込みなど、様々な練習を経て、運転することを決意しました。
足が動かない人が車を運転するためには、手動装置が必要です。ハンドル操作はグリップを握って行い、アクセルとブレーキは手元のレバーで操作します。ドアも工夫され、紐を引くだけで開閉できるようになっています。こうして車の運転ができるようになり、娘も大喜びだったといいます。
藤井さんは「娘のおかげで私は車の運転もできるようになったし、車椅子も積んで行けるようになった」と語ります。
藤井さんの「あきらめない姿勢」は、さまざまな人を巻込みながら、新たな可能性を広げて行くことになります。
(後編「車椅子でゴミ拾いインクルーシブ公園の実現…「できることを数えよう」事故で首から下が麻痺あきらめない姿勢が広げる可能性」へ続く。)
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