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これは戦後、お好み焼を広島のソウルフードに育て上げた“みっちゃん”こと井畝満夫さんの物語である。
東京でのお好み焼講師、テレビなどのメディア出演。お好み焼人気によってみっちゃんの周辺もさわがしくなりました。そんな中、再び駆け込んできたのがみっちゃんの信頼するビジネスパートナー、現在オタフクソース最高顧問の佐々木尉文(ささき・やすふみ)さんです。
佐々木)「大変です大変です!」
みっちゃん)「そんなに慌ててどしたんなら」
佐々木)「ボルゴグラードって知ってます?」
みっちゃん)「ボルボ? なんじゃそれ」
佐々木)「ボ、ル、ゴ、グ、ラ、ア、ド。ソビエトにある街で、広島の姉妹都市なんですけど、友好の証としてそこにお好み焼屋を出すらしいんです。その手伝いをしてほしいって話が来たんですよ」
みっちゃん)「はぁ? ソビエトでお好み屋やるじゃと? 佐々木さん、あんた誰かにだまされとるんじゃないんか?」
佐々木)「お好み、世界進出ですよ。ついに海を渡るんですよ!」
これがだまされてるわけじゃないんです。1990年、「生協ひろしま」の仲介によって、ソ連でお好み焼レストランを開きたいので指導してほしいという相談が舞い込んできたのです。
あれよあれよと話は進み、2人のソ連人コックがみっちゃんの元にやってきました。
みっちゃん)「うわー、ほんまに来たで。えーっと……ハラショー、ハラショ~ウ、ハラショーウ?」
全然通じてないですよ!
みっちゃん)「コレ、ヒロシマノオコノミヤキ。イマカラツクル、ダイジナノココロ、ノーテクニック……はっ、はっ、ほ、よし(ヘラが鉄板を叩く音)……ま、こんなもんやろ。あとは任せたで(カッコつけて去る)」
お店のみんな困ってるじゃないですか!
ソ連人コックの修業のため、お店では壁に「ニワトリ=クーリッツアー」などロシア語を書いた紙を貼って対応しました。翌年、お好み焼店のオープンが決まり、みっちゃんも現地に向かいました。
佐々木)「大変です。放送でボルゴグラード便欠航って言ってます。モスクワで足止めですよ」
みっちゃん)「ふーむ、モスクワで一局やるのもオツじゃのう」
佐々木)「一局って、まさか……」
麻雀牌に加えて麻雀用マットまで持参していたみっちゃん。本当に、どこまで遊ぶことが好きなんでしょう。
ボルゴグラードはかつてスターリングラードと呼ばれ、広島と同じく第二次世界大戦で壊滅的被害を受けた街でした。お好み焼がつないだ平和の架け橋。今や世界中で愛されているOKONOMI-YAKIですが、言葉や文化が違っても「おいしい」はちゃんと伝わるんですね。
オコノミ、ハラショー!
■作・演出 清水浩司
■朗読 二階堂 和美


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