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これは戦後、お好み焼を広島のソウルフードに育て上げた“みっちゃん”こと井畝満夫さんの物語である。
さて、みっちゃんの活躍っぷりをお伝えするこの物語も後半戦。え、まだ活躍してないですって?いえいえ、ここからがサクセスストーリーの本番です!
満州から帰国後、父・井三男(いさお)の立ち上げた一銭洋食屋台を引き継いだみっちゃん。親子ゲンカで一度は広島を飛び出したものの、家族の説得もあって帰郷。帰ってからは天性の味覚と持ち前のサービス精神で「そば肉玉」を基本とする今のお好み焼の原型を作り上げました。
20代から30代にかけ、みっちゃんは西新天地広場、今のアリスガーデンですごしました。そこにあったのは50軒がぎゅうぎゅうに密集する大・屋台村。そこでみっちゃんのお好み焼は人気となり、「わしにもやらせてくれ」「作り方を教えてくれ」とあちこちから声が掛かります。
みっちゃん)「おう、ええでええで。みんなでお好みを広島の名物にしようやぁ!」
面倒見のいいみっちゃんは、いつしかみんなのリーダーに。新天地広場から立ち退きを迫られると、今度はお好み焼屋仲間の麗ちゃん、よっちゃん、紀乃国屋さんらを連れて、当時できたばかりの広島駅ビルに入りました。
駅ビルに入ると、毎日毎日長蛇の列。
みっちゃん)「はー、そんな駅ビルが珍しいんか。こらもう焼くしかないわ・・・。へい、いらっしゃいませー。いらっしゃいませー。はい、ありがとうございます!」
そして広島人なら忘れられない、あの瞬間が訪れます。
みっちゃん)「……よし……よし……やったー、ついにやったで!」
1975年10月15日。球団創設26年目にしてカープ初のリーグ優勝。この年は山陽新幹線が広島駅まで通った年でもありました。マスコミが街に押し寄せました。観光客も増えました。
観光客A)「なんだ、お好み焼って?」
観光客B)「それ広島の名物らしいジャン。広島行ったら絶対食べろって知り合いが言ってたぜ。よし、お好み焼2人前!」
観光客C)「あ、観光ガイドに載ってたお店よ。私たちにも3つくださーい!」
観光客D)「こっちは10人ぶん!」
観光客E)「修学旅行の小学生、50人前お願いできますか?」
みっちゃん)「あああああ、もうワヤじゃ! 広島フィーバー、どないなっとんなら! はい、いらっしゃいませー! ありがとうございますー!」
予想を超える忙しさに、さすがのみっちゃんもテンテコマイ。
それは広島のローカルフードだったお好み焼が、全国に見つかった瞬間でした。まさにカープもお好み焼も黄金時代到来。
みっちゃん、文句言ってないで早く焼いて焼いて!
■作・演出 清水浩司
■朗読 二階堂 和美


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