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焼け野原となった戦後の広島の街の復興とともにあったお好み焼…。
「お好みたべたい」は、作家・清水浩司さんによる関係者への取材とRCCに残る井畝満夫さんに関する資料などを基に構成・創作するオリジナルストーリーです。
清水さんが取材を通して知ったあんな話、こんな話をWEBコラム「お好み ひとくちメモ」にしました。
太平洋戦争終戦まで日本から満州には約27万人が移住したと言われます。
広島県から移住したのは「満蒙開拓団」と「満蒙開拓青少年義勇軍」合わせて1万1,172人。全国で8番目の多さでした。
満州からの逃避行の際、みっちゃんに口をふさがれたのは妹の二美子(ふみこ)さんです。今回ラジオ小説を制作するにあたり話を聞かせてくれた二美子さん。二美子さんは大人になってから母に「あの時、自分は中国残留孤児になっていたかもしれない。連れて帰ってくれてありがとう」と言ったといいます。
みっちゃんはその後、満州での日々について話すことはほぼありませんでした。
二美子さんは3歳で帰国後、竹屋小学校に入学。シラミ退治のため校庭で殺虫剤DDTの粉を頭から振りかけられた時、パンツを買うお金がなくて母の手作りブルマを履いていたことが恥ずかしかったといいます。家はバラック建てで貧乏でした。
「私は原爆こそ遭っていませんが、戦争の悲惨さは経験しています。今回の日本被団協のノーベル平和賞受賞は、ずっと声を上げてきた人たちの努力が実となり花となったように感じました」—―戦後80年の広島で二美子さんはそう語りました。
(取材・執筆 清水浩司)

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