広島のテレビやラジオ番組で活躍した 西田篤史 さんが亡くなりました。広島と放送を愛した西田さんを、多くの関係者が偲んでいます。
庄原市出身の西田さんは、広島修道大学3年のときにRCCラジオに初めて出演しました。その才能を喫茶店での偶然の出会いから見いだしたのが、柏村武昭 さんでした。
柏村武昭 さん
「彼は天職だった。放送局出身のアナウンサーでもないフリータレントで、50年近く、しっかりと走ってきました。広島のみなさんを楽しませて明るくしてくれた」
そして、大学卒業後、フリーで仕事を始めました。1992年、西田さんが司会を務めるRCCのテレビ番組が始まります。ローカル局としては異例だった夜のゴールデンタイムに放送する「週刊パパたいむ」は2003年まで放送され、西田さんは486回の放送に1回も休むことなく出演しました。視聴率も30%を超えることもあり、全国からも注目される番組になりました。
番組で西田さんとともに人気となったのが、レポーターだった 松本裕見子 さんでした。
松本裕見子 さん
「ローカルタレントとして、あっちゃんがすることは本当に楽しくて刺激的で、広島を楽しませるためにわたしたちに何ができるかといつもおっしゃっていた。そういう後ろ姿を見せていただけたことはうれしかった。最後まで本当にかっこいい、あっちゃんだった」
取材した広島の店は4000以上。西田さんは、広島のテレビでは「おなじみの顔」になったのです。また、地元の夕方の情報番組で司会を務めたほか、ラジオのレギュラー番組で活躍を続けました。
関係者によりますと、西田さんは3日の未明、病気のため亡くなりました。68歳でした。
3日夜に営まれた通夜では、親交のあった人たちが西田さんの功績や人柄を偲びました。
柏村武昭 さん
「弟のようにかわいがってきた。また天国で会いたい」
松本裕見子 さん
「すごくかっこいい姿を見せていただいた。でも、まだ一緒に楽しみたかった」
広島カープ 大瀬良大地 投手の妻 真由さん
「これからも記憶の中で生き続ける広島のレジェンドでいてほしいな」
広島カープ 大瀬良大地 投手
「『優勝しました』と報告できるように、また天国から見守ってもらって、力を与えてもらいながら、精いっぱい、グラウンドを駆け回りたいなと思う」
西田篤史 さん(「イマなま3チャンネル」最終回 2014年9月19日放送)
「『イマなま3チャンネル』が579回。『イブニング・ふぉー』から数えると2200回以上。毎日、『こんにちは』と言わせていただいた。一度も休んだことがない。それだけが取り柄。みなさんに支えていただいたからこそ、9年半、この番組ができた。ありがとうございました」
西田さんの遺族は「ここまで応援していただいた広島のみなさまに感謝申し上げます」とコメントしています。
葬儀は近親者のみで営まれました。後日、「お別れの会」が行われる予定です。
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