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逆境に負けない「日本酒ルネサンス」

 新たな歴史をつくるために、挑戦する者がいる。テレビやラジオで紹介できなかった広島を代表する人たちの人物像に、「迫田穆成 最後のマジック」(ベースボールマガジン社)の著者・坂上俊次が迫る。今回は、酒蔵から新時代をつくるナオライ株式会社の三宅紘一郎社長である。

 若者の日本酒離れが進む。消費量のピークは、1970年代前半だった。そこからビールの台頭、バブル期のワインブームもあった。日本酒の消費量はピーク時の3割程度に落ち込んでいる。
 「かつては4000以上あった酒蔵も1400あまりになったと聞きます(2016 国税庁・清酒製造業の概況より)。私も日本酒を生業とする親族に生まれ、事業をたたんでいく仲間や、整理していく姿を目にしてきました。でも100年200年の紡いてきた歴史が絶えるのは、もったいないと感じてきました」
 日本酒づくりは、実に手がかかる。米が実るのを待つ。そこから、発酵に長い時間を要する。もちろん、気候や天候にも左右される。
 「目に見えない自然を相手にしますから、経済合理性は良くないかもしれません。水の比率も高いですから、長期保存に向きません。しかも、日本酒は新酒から売れていって、売れ残るお酒は廃棄されることだってあります」
 三宅には上海で働いた経験がある。そのときの記憶が強烈だった。 
 「9年ほど上海に住んでいて、ヨーロッパのワインやウィスキーなど、古いものほど評価も高く、売れていました。置けば置くほど価値の上がるお酒です。一方で、日本酒は、船で運んだのに、保存状態によっては、劣化してしまうこともありました」
 時間と共に熟成され、価値を高めるワインやウィスキーがある。一方で、日本酒だ。新酒のニーズが高く、経過した時間が価値向上に直結しない。
 この「ねじれ」を解消したい。2016年、大のカープファンの三宅は、「あるヒント」を見つけた。そして、17.18年と、3年にわたって企画を熟成させた。
 「カープのように地域を良くするビジネスが夢」
 彼の心が躍ったのは、カープの3連覇だけが要因ではない。三宅の「酒蔵ルネサンス」が始まろうとしていた。                        (後編に続く)

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