新たな歴史をつくるために、挑戦する者がいる。そんな広島を代表する人たちに迫る。テレビやラジオで紹介できなかった人物像を、「生涯野球監督・迫田穆成 83歳、最後のマジック」(ベースボールマガジン社)の著者である坂上俊次が描く。第4回は、90年以上の歴史がある三谷製菓(広島市)の三谷憲生社長である。
牡蠣もなか味噌汁が売り切れていた。広島駅のおみやげコーナーでのことである。たまたまなのか。いや、そうでもないようだ。アフターコロナ、もなかの皮が人気を博している。
広島市の三谷製菓。1929年の創業以来、もなかの皮を製造している。香ばしさはもちろん、国産もち米100%の風味が愛されてきた。
5代目の三谷憲生社長を訪ねた。
「コロナ禍の落ち込みは大きかったですが、全体の流れでいうとコロナ以前から注文は増えていました。その傾向が、去年あたりから復活しています」
ずっと、和菓子のために商品を作ってきた。しかし、今は、それだけではない。和・洋菓子はもちろん、日本料理や西洋料理に用いられることが増えたのだ。
もなかのイメージを超越している。風味はそのままに、カラーや大きさのバリエーションが豊富で、「インスタ映え」するのだ。
「もともと和菓子メインでしたが。それが、和食や洋食関係から「もなかの皮」がオーダーされるようになりました。料理の食材として扱われるようになったのです。さらに、海外からの注文です。違ったマーケットに届けられるようになりました」
きっかけはどこにあったのか?
心当たりは。自然食品を中心としたセレクトショップでの販売だった。
「20枚入りくらいの、もなか皮のオーダーがあって。ニーズがあるのだろうかと思いました?」
それが、想像以上に売れた。どのような人が手に取るのか、店員に聞いてみた。
「料理人のような人が多いですね。聞くわけにはいきませんが、そんな雰囲気でした」
その通りだった。ここから、「もなかの皮」の販路は一気に拡大していった。いつしか、三谷のもなかの皮は、名料理人の御用達となっていた。
坂上俊次
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