きのうの平和記念式典に、イランの市民15人が参列しました。アメリカの空爆で我が子を失った遺族は、「広島のみなさんと痛みを分かち合いたい」と話しました。3日、広島駅に15人のイランからの訪問団が到着しました。

15人を広島に招いたのは、NPO法人モーストです。モーストはイランの関係者と22年にわたり交流を続け、年に1度イランの毒ガス被害者などを受け入れてきました。訪れたメンバーのうち2人が、インタビューに答えました。

母アシエさん
「広島が焦土と化したように、私たちの血筋も完全に断ち切られてしまいました。この2つの出来事には共通点があります。だからこそ、私たちはご招待を受け入れ、ここに来たいと思ったのです」

2人は、2月のアメリカによる小学校への爆撃で、子どもを失った両親です。ミナブ小学校では、160人以上が死亡したとされています。7歳で亡くなったマカンさんの遺影を携えた両親は、アメリカへの怒りを隠しませんでした。

父シラウスさん
「私たちがここまでやってきたのは、広島のみなさんと痛みを分かち合うためです。アメリカが子どもを殺害したという事実を世界に証明するためにやってきました」

モーストは毎年来日の時期に合わせて「広島イラン愛と平和の映画祭」を開催しています。映画関係者が作ったミナブの空爆被害の映像が上映されました。

映像のナレーション
「2026年2月28日午前10時30分イランに対する米軍およびイスラエル軍による空爆。ミナーブの学校にて」

映像には空爆の様子や廃墟となった学校の建物のようなものも見えます。そして6月に行われた追悼集会の様子も紹介されていました。

追悼集会の司会者
「ここは今学校の教室のように見えます。あの子どもたちがここにいないなどと思わないでください。出席確認をしましょう。でも欠席にはしないでください。彼ら全員がここにいるかのように」

一人一人、名前が読み上げられ、参列者が「出席」声を出しました。そして今回来日した両親の子どもの名前が読み上げられました。

「マカン・ナシーリ・ホザーニ。(参列者「出席」)マカンは他の子どもと違います。ミサイル爆発のあと、いとしいマカンの体は見つかりませんでした」

映像ではマカンさんの元気だった頃の様子が流れました。マカンさんの遺体はいまだに見つかっていません。

母アシエさん
「マカンはまだ幼く、7歳でした。ある日、普段と同じように目を覚まし、学校へと向かいました。そして、二度と帰ってきませんでした。戻ってきた唯一のものは、青いセーターと、マカンの片方の靴だけ」

この学校で起こったことはどこでも起こりうることと訴えました。8月6日、イランからの一行は、平和公園に向かうため、朝早くホテルを出発しました。街並みを見ながら感じたことがあります。

母アシエさん
「日本の人々は力強く自分たちの街をゼロから再び建設できた。イランの国民や指導者たちにとってこのことは幸福の種であり手本にできればと思う」

滞在期間中は、5万人が参列した平和記念式典に出席したほか、原爆資料館も見学しました。イランへの空爆と同じくアメリカから被害を受けた被爆の実相に触れました。

松井市長への表敬訪問では、破壊された小学校でみつかった、マカンさんの靴を持ち込みました。そしてアシエさんは松井市長にこれから何をしたいか、話しました。

母アシエさん
「私は語り部としてあらゆる国々を旅します。アメリカが自らの行為を恥じるように、すべての国々、世界中の人々がアメリカのおこなったことを知ることで、二度とこのような行為に手を染めることができないようにするためです」

父のシラウスさんは、広島での旅を振り返り、平和公園での体験を語りました。

父シラウスさん
「きょう彼らが行った式典は私たちの誇りでした。なぜなら80年前から現在まで彼らはこの式典を続けているからです。資料館に行って見学しました。資料もとても感銘を受けました。なぜなら全てのアイデアをイランで実行することができるからです」

2人は「ミナブの小学校で起きた悲劇を忘れないでほしい」と話し、きょうイランへの帰国の途に就きました。