2026年4月に福山市立福山高校野球部の指揮官に就任した小田浩監督(62)。「福山市を驚かそう」を合言葉に、わずか4ヶ月で公立校を初の広島大会優勝へ導いた名将は、2011年の春以来15年ぶりに甲子園へ戻ってきます。その総合技術高校時代には忘れられない19年前の夏がありました。(筆者・RCCアナウンサー兼スポーツディレクター石田充)

 自らは広島商業で全国準優勝を経験し、指導者としては西条農業を率いて2度甲子園へ導いた小田浩。海田高校を経て赴任したのが総合技術高校でした。

 2005年、三原市にある県立本郷工業高校の閉鎖に伴い設立された総合技術高校。野球部の初練習に来たのはわずか3人...。草むしりから監督業がスタートするほどゼロからの出発でした。迎えた就任3年目の2007年。私にとってRCC入社1年目、最初の高校野球取材でした。総合技術は26人いた1期生は12人となっていましたが、その3年生を中心に尾道、国泰寺、山陽、瀬戸内という実力ある学校を次々と破り、2度目の大会出場で決勝まで駒を進めます。

決勝の相手は野村祐輔・小林誠司のバッテリーでのちに全国準Vを果たす広陵

 「広陵対総合技術」の決勝の舞台は原爆ドームそばの旧広島市民球場。下馬評は圧倒的に“広陵”有利でした。エース野村祐輔(元広島)、キャッチャーは小林誠司(巨人)、ショート上本崇司(元広島)、サード土生翔平(元広島)、控え投手に中田廉(元広島)とプロへ進む選手が5人在籍。前年秋から中国地方では無敗の絶対的王者として君臨していました。

 総合技術は準決勝まで防御率0.68というエース粟村が先発。ただ3回にホームランなどで広陵に2点の先行を許します。そのウラ、2人のランナーを出した総合技術。2番川島が2ベースを放つと、ホームへの返球が広陵のキャッチャー小林の腕に当たり3塁ベンチの中へ。打者走者の生還も認められ3対2となり総合技術がゲームをひっくり返します。5回に広陵・土生の内野ゴロで追いかれますが、その後は総合技術が再三の好守で勝ち越しを許さず3対3のままスコアは変わらず延長戦にもつれ込みます。

小田浩監督が忘れられない広陵・9番小林誠司の公式戦初ホームラン…

 広島大会決勝では15年ぶりの延長戦。広陵の野村、総合技術の粟村の両先発の投げ合いが続き、3対3のまま迎えた11回表。広陵の攻撃。小田監督が「イマでも忘れられない」と振り返る瞬間が…。広陵9番・小林誠司がスライダーを振り抜くと、打球は両翼91.4mという旧市民球場のレフトポール際へ吸い込まれました。公式戦で1本もなかったという小林のホームランで広陵に4対3と勝ち越しを許します。

 先発の粟村の156球の熱投に応えたい総合技術打線でしたが9回以降、野村祐輔の前にランナーを出せず11回ウラ2アウト。最後はこの日10個目の三振を奪われ、野村に139球の完投を許しゲームセット。小田監督のもと快進撃を見せた総合技術でしたが、創部3年目での甲子園出場は夢と消えました。

 総合技術を僅差で破った広陵は、夏の甲子園で決勝に進出。悲願の全国制覇に手をかけるも、佐賀北の“がばい旋風”の前に準優勝に終わりました。甲子園1塁側アルプスで取材中にレフトスタンドへ逆転満塁弾が消えたシーンはイマでも記憶に残っていますが、それと同時に広陵を最後まで苦しめた総合技術というチームも忘れられなくなっていました。

リベンジを誓った2008年夏。再び決勝で広陵と対戦。7点リードも…

 創部から3年で県内の強豪校への仲間入りを果たした小田浩監督率いる総合技術。新チームとなり迎えた秋の県大会準々決勝では広陵に5対1で勝利。「創部したときには想像できなかった」と指揮官も驚くほどの成長を見せる中、秋の広島大会を優勝し、もう誰もダークホースとは呼ばなくなりました。「小田監督がいたから総合技術を選んだ」というキャプテンの水野のもと、チームは成熟度を増し、再び県大会で夏、決勝まで駒を進めます。

 舞台はこの年で閉鎖となる旧広島市民球場。相手は1年前と同じ広陵でした。のちにカープにドラフト2位で指名される広陵の中田を攻め立て、総合技術は4回を終わって9対2と大量リード。しかし、前年に甲子園準優勝を経験している上本が4安打を放つなど広陵も底力をみせ点の取り合いになると、最終的には12対10で広陵が勝利。またしても小田監督率いる総合技術はあと1勝で甲子園を逃しました…。

総合技術、初の甲子園へ!親子2代の教え子が拓いた道

 2年連続で夏の県大会で準優勝となった総合技術の戦いをスタンドで見ていた中学生が2009年、4期生として入部しました。その選手の名は重舎塁(おもや・るい)。広陵への誘いもありましたが、西条農業出身の父・誠さんの恩師が小田監督だったこともあり、総合技術を選びました。(父は1988年にセンバツ出場、小田氏は当時コーチ)

総合技術を初の甲子園に導いた重舎塁主将(2011年取材)

 親子二代で小田浩の指導を仰ぎ、甲子園をめざした重舎は、2年の秋、キャプテンとなると県大会で広陵を破り3位に入り中国大会進出を決めます。父と同じポジションであるキャッチャーとしてチームをまとめ中国大会では優勝した岡山・関西に準決勝で1対0で敗れましたが、年をまたいだ2011年1月、センバツ出場の吉報が届きました。総合技術にとっては創部6年目で初。小田監督にとっては18年ぶりの甲子園切符となりました。

 「甲子園で1勝して父の成績を超えたい」と重舎キャプテンが意気込んだセンバツでは大阪・履正社の前に敗れ残念ながら初戦敗退。それでも父・誠さんは、小田監督のもとで新たな歴史を作った息子を誇らしくアルプスから見守っていました。

 そして小田監督はこの2011年を最後に、高校野球の指導から離れることになります。

15年のブランクを経て、市立福山野球部の監督就任。「100日」で築いた選手との絆!

優勝旗を手にする小田浩監督

尾道商業や市立呉、竹原などで校長を務めた小田氏は、2026年春、福山市教育委員会の教育推進課の職員となり午前中は8時半に市役所へ、部活動の時間になると市立福山へ指導へ行く日々がスタートしました。公立校ということもあり練習時間は平日3時間、土日も4時間と限られる中、部員とは夏の大会までの“3ヶ月” の時間を強調。「『100日しかない』ではなく『100日あるからやれることはたくさんある』、県内で上位と互角に戦えるスケール感を意識しながら指導をした。根拠を示すなかで、理想と自分たちの力を理解し、最適解を出していくサイクルが生まれた」と手応えを徐々につかむと、夏の大会でも毎試合成長を感じ「1週間あれば変わる、強くなれるマインドだった」と62歳は広島大会を回顧しながら「まだそこが見えていないし、もっと力をつけるかもしれない」と力強く語りました。

甲子園出場よりも嬉しいのは“このチームでまた練習ができること”

 15年ぶりの現場復帰で聖地の甲子園への切符を手にした小田浩監督。「野球の監督は(生徒の)ゴールは3年後の姿だけど、校長では3年後だけじゃなくて10年後、20年後の姿を意識してやってきた。ただ教えるのではなく『ポータブルスキル』と言っているんですけど、野球で培った考え方、リスクマネジメントとかの思考のプロセスをしっかり教え込んで勉強でも活かせるし、将来の仕事でも活かせるというスタンスを保護者にも説明してきた。もう孫みたい(な年齢差)ですけど、地元福山の子たちの集まりで、3年生17人全員がメンバー入り。個人的なエゴは全く出すこともなく本当にいいチーム、いい組織になった。だから甲子園(出場)もですけど、このチームでまた練習ができるのが1番嬉しいですね」と語ります。

甲子園出場の喜びをあらわにする市立福山ナインと小田監督

 その練習で握るノックバットは、総合技術時代の教え子だったソフトボール部の女子部員が去年、還暦祝いでプレゼントしてくれたものでした。もらった時には「監督になる気はなかったのに…どうせいと!?」と戸惑いを隠せず。「15年ぶりに握ってボールが飛ばないので生徒に申し訳なく笑われている」と言いますが、わずか4ヶ月で甲子園へ導く魔法のような道具へと変わりました。

 2011年のセンバツ以来となる甲子園でも「背伸びをせずに、地に足をつけて、これまで通り淡々と…」と話す小田浩監督。そして「福山市を驚かす」という合言葉を4ヶ月で実現しましたが、夢舞台を経験する部員たちには「将来、福山市を支えてくれる人材になってくれる」ともっと先の未来の姿を想像しています。

【筆者プロフィール】
石田 充(いしだ・みつる) 中国放送(RCC)アナウンサー。2007年に入社。アナウンサーとして、広島東洋カープの2017年、2018年の優勝試合を実況。その他、Jリーグ(サンフレッチェ広島)、駅伝、ラグビーなどテレビ・ラジオのスポーツ中継を務めながらディレクターとして高校野球などのアマチュアスポーツを取材。ドキュメンタリー制作・撮影・編集もこなす。