1943年から操業を続け原爆の被害を乗り越えた貨物列車の修理拠点が、7月から大規模改修に入ります。見納めとなるレトロなJR貨物・広島車両所を取材しました。

日々、全国各地にコンテナで荷物を運ぶ貨物列車。その整備や点検を担っているのが、JR貨物の広島車両所です。全国に6箇所あるうちの1つで、西日本では広島と福岡県の小倉にしかありません。

マツダスタジアムおよそ2個分の敷地では、主に自動車でいう「車検」にあたる「全般検査」がおこなわれています。5年から8年に1回、車輪や車軸などは本体から切り離し部品を取り外し、異常がないか目視で細かく確認しています。

摩耗や傷がある部品は修理や交換を行います。サビを防ぐために、全般検査に合わせて塗装も塗り直します。

広島車両所の「第1主棟」へ 被爆乗り越え83年

そんな広島車両所で、一番大きい建物が「第1主棟」です。中では、電気機関車レッドサンダーが整備を待っていました。機関車の屋根を外し、中に積まれているモーターや制御装置を大型のクレーンですべて取り外します。

重量物を運ぶクレーンの進む方向は「東西南北」の代わりに「府中・矢賀・広島・温品」と地名が書かれ、広島らしさを感じられます。

第1主棟は、1943年に当時の国鉄・広島工機部として操業を開始して以来、現役で使われ続けている「被爆建物」でもあります。

車両所の歴史を記した二十年史を開くと、原爆によって第1主棟は屋根が大破、窓ガラスは全て壊れ「惨憺(さんたん)たるありさまだった」と記されています。

「車両所のほうに爆弾が落ちたかと」原爆投下時、山本所長の祖父は府中町に

広島車両所の山本所長は、祖父から「府中町の自宅できのこ雲を目撃した」と聞いたと話します。

JR貨物 広島車両所 山本昌彦所長
「当時は家の方から見ると広島工機部(現・広島車両所)のほうに爆弾を落とされたのではないかと思って、あわてて見に行ったら車両所は大丈夫で、もっと市内のほうがすさまじい状態になっていたと聞いた」

©日映映像/RCC 広島駅にて

広島車両所の爆心地からの距離は約4.2km。職員約30人がけがをしたものの死者はなく、わずか1日休業しただけで、すぐに復旧作業が始まりました。

戦後は蒸気機関車から電気機関車へ 鉄道近代化を支えた第1主棟

戦後は蒸気機関車の点検などが行われてきましたが、時代の変化とともに、数を減らしていきます。

1964年には、山陽線の急勾配区間「セノハチ」で貨物列車を後押しする蒸気機関車が引退。機関車の側面には「最後だ走れ!走れ!」「もうだめだ」と、名残を惜しむメッセージが記されました。

1973年には、広島車両所での蒸気機関車の検査が終了し、姿を消しました。山陽線の電化に伴い、現在の電気機関車の整備へとシフトしたのです。

鉄道の近代化にあわせて増築を繰り返し、多くの機関車や貨車を送り出してきた第一主棟。中に入ると、増築前(被爆部分)のエリアと戦後増築されたエリアで、構造が少し異なっていました。

もう2つの被爆建物 「動力室」と「油庫」

広島車両所には他にも2つの被爆建物が存在し、現役で使われています。

「動力室」は、古い外壁の周りに建物のカバー(スレート壁)があり、外壁は一見戦後に建てられた建物のように感じますが、中に入ってみると、屋内クレーンの梁や柱が木製のまま残っていました。

もうひとつの「油庫」は原爆投下の前の年に建てられました。昔は今の倍の大きさがありましたが、通路の整備で半分になったため、外壁には「火気厳禁」の「厳禁」という字だけが残っていました。

操業から83年 初の大規模改修へ

しかし、被爆建物をはじめとして、車両所内は老朽化が顕著になっています。建物は雨漏りしている場所があるほか、空調面、動線にも課題があり、労働環境の改善は急務。

そのためJR貨物は7月から、操業以来初めてとなる広島車両所の大規模改修に踏み切ります。80年以上続いている車両の検査は工事中も続けるため、建物の解体や新築は段階的に実施。

最も大きい被爆建物「第1主棟」も、2030年頃には解体されて姿を消す見込みで、全体が完成するのは10年後、2035年の予定です。

改修に携わるJR貨物の本社車両部・井上臣也サブリーダーは「令和に作られた車両所は無いため、フラッグシップのような車両所として今後もJR貨物を背負ってほしい」と期待を込めます。

解体される第1主棟 鉄骨でモニュメント制作の方針

時代にあわせ、大きな一歩を踏み出す広島車両所。JR貨物は、改修に伴い解体される第1主棟について、歴史を後世へ伝えるためとして、鉄骨の一部をモニュメントにして残す方針です。

広島市によると、爆心地から5km以内の「被爆建物」は1996年に98件が登録されていたものの、老朽化などの影響で現在86件に減少しています。広島市は、被爆建物の保存工事や、今回のようなモニュメント化などに助成を行い、被爆の痕跡を残し、伝える取り組みを行っているということです。