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「いのちの叫び」が里帰り 元中学生が半世紀ぶりに木彫り作品と再会 広島

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半世紀以上に渡って、埼玉県の「原爆の図丸木美術館」で展示されていたレリーフが、美術館の改修に伴い、広島に帰ってくることになりました。中心になったのは、このレリーフを制作した、当時の中学生たち。里帰りと修復の取り組みを取材しました。

先週末、廿日市市のとある資材置き場で取り組まれていたのは、350枚の板がつながって、縦2.3m、横5.5mになる巨大なレリーフの修復作業でした。描かれているのは、被爆後の傷ついた人たちの凄惨な様子から…花が咲き子どもが笑う平和な時代まで。

このレリーフは、1972年、廿日市中学校の全校生徒344人が平和学習の一環として共同制作したものです。広島出身で「原爆の図」を作った丸木位里さんに請われて埼玉県の美術館に贈られることになり、1974年には丸木位里さん立会いの元、贈呈式が開催されていました。

以降、レリーフは、原爆の図丸木美術館の正面玄関上部の外壁に展示されてきました。

「原爆の図」の前に出会うレリーフが「廃棄へ」

来館者は…
「全然古い感じしないですよね。やっぱり…上手だよね。思いを込めて、丁寧に作った、っていうのが一目で伝わってきますよね」
「ここに置かれている画はこれも含めて、たくさんの人が関わって形にされていて、それにうまく言えませんが、嘘がないというか」

ところが2025年、丸木美術館の大規模改修が始まることになり、このレリーフは、外壁と共に廃棄されることになりました。

原爆の図丸木美術館 岡村幸宣学芸員
「簡単に外せてまた付けられるっていうことであればまた違ったんでしょうけど、もう長い間雨風にさらされて、版木も反って割れてきたりしていて。まず、キレイに剥がすこと自体がかなり大変で」

美術館が長期休館に入ってすぐの10月、レリーフの撤去作業を行ったのは、中本敬章さんと妻の由佳里さんでした。

当時の制作者がレスキュー!廃棄を免れたレリーフは…?

中本敬章さん
「上下、わかんなくなるんで、頼むね。もうこうなったらわけわからん。ジグソーパズルより難しくなる。どう考えても」

敬章さんは、中学2年の時に、このレリーフを作った生徒の一人。廃棄されると報道で知り、なんとかしたいと一念発起。関係者と交渉して、急遽、広島に持ち帰ることになりました。

自身が彫ったという1枚を剥がしてみると…?
中本敬章さん
「(裏の名前が)違いますね。惜しいな、こんな感じのを彫ったと思ったんですけどね。(自分のが)なかったりして。ハハハ」

原爆の図丸木美術館 岡村幸宣学芸員
「レリーフを実際に作られた方たちが、これを守りたいという風に声を上げて下さって、地元の廿日市で、また見られる状態になっていくということは、美術館としては嬉しいことだなと」

11月最後の土曜日、レリーフの修復作業のために、朝から50人のボランティアが集まりました。中本さんの本業は、足場板をリユースする会社の経営者で、必要な技術や資材、場所がそろいました。

「いのちの叫び」里帰りプロジェクト始動!

参加者
「取れないですよ、全然取れない」

裏側に接着されたベニヤ板をはがしていくと、半世紀前に書かれた名前や落書きが見つかりました。

当時3年 藪井和夫さん
「あったぞ!あったぞ!これあんたのじゃ!」

当時1年 大野正喜さん
「ほんまじゃ、ありました」
Q.どうですか?今のお気持ちは?
「50年前の自分に出会ったようで」

参加者のうち当時制作した中学生は、16人。自分の作品が見つかるかどうか、ドキドキワクワクの作業です。
当時2年 堀川千影さん
「私もう自分のやつ見つけた。もっと上手だと思ったら、見てみたらすごい下手だった」
当時2年 中藪(山根)真澄さん
「私はまだ。イメージではあすこ、とか思ってるけど、多分全然違ってると思う」当時2年の女性ら
Q.何を彫ったかは覚えてないん?
「手を彫ったのは覚えとる気なんじゃけど」
「手はたくさんあるね…」

作品保護のため乾ききったレリーフの表面に、植物性オイルを塗ると、色合いが深みを増します。欠けたり割れたりしたものも、1つ1つ丁寧に補修されて、作品が蘇っていきました。

当時2年 中本敬章さん
「最初僕も全然ツテがなくて。同級生ともう何十年も会ってないから、どう連絡していいやらわからずで」
「やっぱりまぁホント皆さんの協力があってで、なんとかこの作品を残していこうという方向で皆さんが急に(結集した)」
「ちょっとタイムカプセル開けちゃった感がありますね」

結局、誰がどこを彫ったのか、判明したのは半数ほどでした。

本当は「裏に名前」を書いているはずですが…

この日参加していた元中学生のうち、「自分の板が見つからなかった」という人は、男性ばかり。木の裏側に名前を書いていなかったとみられます。
Q.名前を書けって先生に言われたんじゃないんですかね?
当時2年 八木宏二さん
「言われたと思う」
当時2年 相原恒樹さん
「中二ですから、反抗期のまっただ中…」

Q.見つかったんですか?
当時2年 片岡(山本)真弓さん
「見つかったんです! メチャクチャ勘違いをしてまして、私。”花を彫った”って言ってたんです、みんなに。ハナはハナでも、”人間の鼻”でした」

当時2年 武田(竹中)佳子さん
「あった!(これ?)一生懸命自分の手を見てやった覚えがあります」
武田さんの彫った「手」は、手首から先、だけでした。
「人間ですから、血も肉もあるから、千切れたらそこに見えるものもあるんかな、いうのは、考えたような気がします」

当時2年 中本敬章さん
「我々のクラスが彫ったのは、いわゆる原爆の悲惨さを訴えるリアルな(部分)」
中本さんが彫った「手」には血が滴っていました。
「彫った時の記憶はあまりないんだけど、ただ当時は、身近に体験者がいらっしゃったし、うちのじいちゃんもそうだし、なんとなくそういう時代というのを想像しながら彫ったんだと思いますけどね」

「いのちの叫び」と名付けられたレリーフは、12月23日に、母校の廿日市中学校に寄贈されることになっています。

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