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2025年シーズン限りでの退任が発表されたサンフレッチェ広島のミヒャエル・スキッベ監督(60)。地方の育成型クラブを再び常勝チームへと変革し、2つのタイトルをもたらしたドイツ人監督の手腕を数字とともに振り返る。(RCCアナウンサー・石田充)
【”異例”オンラインでの就任会見】
2021年12月中旬。
新型コロナウイルスの猛威が続く中、ドイツにあるスキッベ監督の自宅と広島を結ぶ異例の就任会見が開かれた。サンフレッチェとして初のドイツ人指揮官・スキッベ氏が招聘された理由は主に2つあった。
(1)指導者として**”育成”経験が豊富**
(2)”攻撃的”なサッカーを展開
ケガもあり20代前半から監督としてのキャリアをスタートさせ、U-17やU-19の年代を指導。その後はコーチとして2002年の日韓ワールドカップで母国を準優勝に導く。あれから約20年、再び日本へやってくることになった。前線からのハイプレスをベースに連動した全員守備と全員攻撃を武器に、就任会見では**「2年以内に上位で安定したパフォーマンスをみせたい」**と目標を語った。
前年度11位に終わったクラブを立て直せるかが注目されたが、立ちはだかったのが依然続く新型コロナ。入国制限により来日がJ1開幕には間に合わず、3月6日の第3節から現場で指揮を執った。

初陣は神戸を相手に引き分け。さらにその後は連敗。5節を終えた段階で0勝2敗3分。18チーム中17位に沈んでいた。
そんな中、待望の初勝利をもたらしたのはルーキー満田誠(現・G大阪)。サンフレユース出身の大卒ルーキーのJ1初ゴールが決勝点となり、満田のブレイクとともにチームも上昇。クラブの新人記録となる9ゴール挙げる活躍を見せ、チームも3位(勝点55)と躍進する。
さらに満田とユースで同期だった大迫敬介、川村拓夢もレギュラーへと成長し、天皇杯でも決勝に進出。PKで甲府に敗れ悔しい結果となったが、その1週間後のルヴァンカップではC大阪を相手に劇的な逆転劇で初優勝を手にした。

1年目からアカデミー出身者が存在感を見せつつ3大タイトルのすべてでTOP3に入り、再び常勝クラブへの道を歩み始めた。
<2022年成績>
・J1リーグ3位(勝点55)34試合15勝9敗10分52得点41失点
・ルヴァンカップ初優勝/天皇杯準優勝
就任会見での「2年以内に上位で安定したパフォーマンスを」という言葉を早々に叶えたスキッベ監督。就任2年目はさらなる飛躍が期待される一方で、前年度優勝争いをしたチームが回に沈むことが頻繁にあるJ1リーグの厳しさは2度の降格を知るクラブは身をもって知っていた。
2023年、クラブの命題の1つは「翌年完成するサッカースタジアム元年をJ1で迎えること」でもあった。エディオンスタジアム(現ホットスタッフフィールド広島)のラストイヤーは開幕から12試合を消化し7勝3敗2分の3位につけた。
しかし勝点3差の首位神戸との戦いを前に、背番号11を新たに背負った満田が試合中のケガで戦線を離脱。復帰までの11戦でわずか2勝と苦しんだ。

スキッベ監督も「前線の選手が怪我などによってなかなかフィットできなかった…」と得点力不足を痛感し夏場に勝点を積み上げられなかったと回顧。それでも満田復帰後は12試合で8勝1敗3分と息を吹き返し、前年同様J1リーグで3位。翌年「J1」のステージで戦う権利を手にするだけではく、勝点は前年よりも多い「58」を積みあげた。
そして…ついに夢の器・新スタジアム元年を迎える。
<2023年成績>
・J1リーグ3位(勝点58)34試合17勝10敗7分42得点28失点
・ルヴァンカップ1次リーグ敗退/天皇杯3回戦敗退
森保一監督時代の3度のJ1優勝(2012・13・15年)で気運が高まり、度重なる候補地選定を経て、広島市中区基町に完成したエディオンピースウイング広島。平和公園や原爆ドームの延長線上に位置する街中のサッカースタジアムは広島県民、そして紫の戦士にとっても夢の舞台だった。

スキッベ監督が前年度の課題と語った「得点力不足」。34試合で42得点と前年度を10点下回った。その課題を解消するラストピースとして加入したのがFW大橋祐紀だった。
前年度、湘南で2桁ゴールを挙げた男は開幕戦でメモリアルな新スタジアム初ゴールを挙げるなど11ゴールをマークし期待に応える。
ただ7月にプレミアリーグへ移籍。スキッベ監督はACL2との過密日程に加え「夏に川村拓夢・大橋祐紀・野津田岳人の3選手を(海外移籍で)失ったこと」が大きかったと語った。
それでも多くのサポーターが背中を押す。エディオンピースウイング広島のチケットは争奪戦となりほぼ全試合で完売。リーグ戦の観客数は平均2万5609人と前年より9000人以上増え、アグレッシブなサッカーを展開しサポーターを魅了し続けた。2024年はタイトルこそ取れなかったが、総得点は”30”伸ばし”72”に。就任後最高順位の2位となりACLエリートの出場権を手にした。
<2024年成績>
・J1リーグ2位(勝点68)38試合19勝8敗11分72得点43失点
・ルヴァンカップベスト8/天皇杯ベスト8
就任4年目は積極的な補強で話題を集めた。ジャーメイン良・菅大輝・田中聡など各クラブの主力選手を獲得。初参戦となるACLエリートも見据え、スキッベ監督をクラブもバックアップした。

前年3位の町田とのJ1開幕戦。大学ナンバーワンストライカーと言われたFW中村草太(明大卒)が決勝ゴールを挙げ好スタートを切る。
ただ前年度インパクトを残したトルガイ・アルスラン、中島洋太朗が春先に手術するなど、指揮官の理想とする選手起用ができず4月にはリーグ戦4連敗。ただ5月に堅い守備と5戦5勝と息を吹き返し、J1で上位争いするクラブで唯一国内3大タイトルの全てで優勝の可能性を残しながら秋を迎えた。
2025年11月1日東京・国立競技場。スキッベ監督就任1年目以来、3年ぶりにルヴァンカップ決勝へ駒を進めた。相手はJ1屈指の攻撃力を誇る柏レイソル。矛と盾の対決と思われたが、堅守を誇る広島の攻撃力が黄色いサポーターを黙らせた。
新たな武器でもあるMF中野就斗のロングスローにDF荒木隼人がヘディングで合わせ先制すると、前回の優勝時はケガでいなかった東俊希が芸術的なFKを直接決める。さらに中野のロングスローからの流れで3本目の矢を突き刺したのはジャーメイン。3対1で勝利しクラブとして2度目のルヴァンカップ制覇。5つ目の星をユニホームへつけることになった。
この試合で印象的だったのはクラブYouTubeでも公開されていた試合後の**FWジャーメイン良の『(きょうは)右サイドバックだった』**という言葉。スキッベ監督が掲げるスタイルは「全員攻撃、全員守備」だが、佐々木翔を中心とした鉄壁の3バックに加えて、前線からのプレスが連動した結果が最少失点に結びついた。
そのほか歓喜の輪にいたのはタイトルのために海外から戻ってきた川辺。C大阪時代に準優勝と悔し涙を流した加藤陸次樹。また木下康介は古巣に勝利してのタイトル。さらに中村草太(23)、田中聡(23)、中島洋太朗(19)といった若手にとってもかけがえのない経験となった。最年長・塩谷司(36)が口にした**「もっといいチームになっていくよ、絶対。」**という言葉が示すように…。
<2025年成績(11月26日現在)>
・J1リーグ暫定5位(勝点62) 36試合18勝10敗8敗42得点26失点
・ルヴァンカップ優勝/天皇杯ベスト4
スキッベ監督を取材してきて印象的なシーンがある。就任3年目の2024年シーズン終盤、広島一筋21年のバンディエラ青山敏弘が引退を発表。

サッカースタジアムの完成を待ちわびてきた青山だったが、この年、中盤ではMF松本泰志が不動のレギュラーを掴み、8月には海外から川辺駿が復帰。青山のリーグ戦での起用はわずか2試合で記録上2分のみだった。
優勝の可能性を残すためにも負けられない大事な12月1日のホーム最終戦。札幌を相手に4対1とリードした後半37分にスキッベ監督が動く。青山をピースウイングのピッチへ送り出した。交代したのは川辺駿。青山から背番号6を託されることになる広島生まれの男だった。
試合後の会見。指揮官に青山選手を投入する時の交代に込めた思いを質問した。返ってきた答えは**『この試合に関しては(交代選手を)決めていた。もう1つ考えていたのは、(中島)洋太朗とアオ(青山敏弘)が同じフィールドに立つこと』**だった。

青山投入の約10分前にピッチに立っていたのが父がサンフレOBの中島洋太朗(当時18歳)。青山と川辺の関係性だけでなく、2006年にJ1デビューを果たした青山とその年に生まれた中島が同時にピースウイングのピッチに立つ意味まで指揮官は考えていた。
もちろん交代選手がゲームを決めることは多々あったが、これこそ育成型クラブの理念を理解したスキッベ監督の記憶に刻んでおきたい采配だった。
就任4年目はルヴァンカップを含め国内3大タイトル全てで上位の成績を残したスキッベ監督。ときには試合後の会見で審判に対しての不満を口にして処分を受けたこともあったが、そんな指揮官が就任してから一貫していたのは試合翌日に基本的にはオフ(時には連休)を選手に与えコンディション調整を任せたことだった。その分、責任は選手に芽生えていた。

またファン感謝デーではカフェの店員に扮して笑顔で接客したスキッベ監督。ピースウイングそばにある広島城を散歩している姿の目撃情報もよく耳にした。
古くからサッカー王国の一つとも言われた街=広島。クラブにとっても転換期、広島の街を変えたサッカースタジアムの開業前後のシーズンを託されたドイツ人監督が結果を残せなければ、負のスパイラルに陥る可能性もあったのかもしれない。
それでも様々な重圧をはねのけ、適材適所の積極補強とユース出身選手を育成しながら再び常勝チームを作り上げた。新スタジアム元年の売り上げは前年の2倍に近い80億円超え。浦和・川崎・神戸に次ぐ4位となり、スタジアム環境だけでなくフロントスタッフも含めて地方クラブとしての理想的な成長を遂げた。

スキッベ監督は12月6日のホーム最終戦でサポーターに直接メッセージを届ける予定で、12月10日のACLエリートの試合が最後の指揮となる。アジアの頂点を目指す戦いは年をまたいで続くが、スキッベ監督の築いた攻撃なサッカーをベースに新たな指揮官がどのようなエッセンスを加えてくれるのだろうか。
そして…スキッベ監督といえば試合後の円陣。最後はいつもこの言葉だった。『Dankeschon』(ダンケシェーン=ありがとう)
この言葉をサポーターの一人として送りたい。
文・石田充(RCCアナウンサー兼スポーツディレクター)

2023年戦国武将に変身!!

2021年12月ドイツの自宅と広島を結んだ就任会見

4年間常にポジティブに選手を鼓舞し続けた
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