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これは戦後、お好み焼を広島のソウルフードに育て上げた“みっちゃん”こと井畝満夫さんの物語である。
広島のお好み焼の原型を作ったみっちゃんは、広島市で生まれましたが、すぐに日本を離れました。家族で満州に渡ったのです。
1932年、中国東北部に「満州国」が建国されました。満州国は、日本が植民地支配する国で、国策として日本から多くの移民が移り住みました。
みっちゃんの父の井三男(いさお)さんは、広島県賀茂郡出身。職を求めて広島市内に出て、段原で魚屋を営んでいました。そんな折、満州に進出しようとするデパートの社長から鮮魚部門の主任をしてくれないかと声がかかったのです。
一家は海を渡りました。異国のチャンスに賭けたのです。
しかし、父はすぐに社長とケンカして退職。路頭に迷った井三男さんは、今度はお菓子作りに乗り出しました。するとこれが大成功!
気が短くて、人に使われるのがきらいで、手先が器用で商売上手。みっちゃんとお父さんは本当によく似ています。
お菓子屋は大繁盛しました。日本にも輸出し、領事館御用達になりました。
みっちゃんの下に、妹や弟が生まれ、7人家族は満州で豊かな暮らしを送っていました。ずっとこの生活が続くものだと思っていました。
父)「おーい、ミツオ、おまえアイスキャンデー売ってこいや。こづかいやるけえ」
みっちゃん)「えー、わし友達と遊ぶ約束しとるのにー」
1937年、盧溝橋(ろこうきょう)事件勃発。日本は中国との泥沼の戦いに突き進んでいきます。
1941年、真珠湾攻撃。日本はアメリカとの戦争も開始します。
戦況の悪化に伴い、満州での暮らしは次第に危険なものになっていきました。
米俵などの食料品は天井裏に隠しました。かつて馬車で幼稚園に通っていた姉たちはオカッパ頭を丸坊主にしました。
そして・・・。
■作・演出 清水浩司
■朗読 二階堂 和美
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