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【RCC東京通信】核時代80年を生きる がん闘病中の被爆者 田中聡司さん

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RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

広島の被爆者、田中聡司さんの講演会が東京都立川市の主催で開かれた。

広島での核兵器廃絶に関するニュースでしばしば登場する人物だ。

直接話を聴ける良い機会だと思い行ってきた。

広島で田中さんは1歳5ヶ月のときに原爆投下直後のまちを母親に背負われてさまよった。

母親の実家や家族を捜すためだった。

親族の多くが被爆。祖父母など4人が直後に亡くなり、母親の妹は見つからないままだ。

講演のスライドから

被爆者であることを隠していたが

田中さんは大学進学で上京。

あるとき学生寮の浴場でとなりにいた学生から「原爆は感染しないのか」と言われショックを受けた。

それ以来、知られたらろくなことがないと考え、被爆者であることを隠して生活するようになった。

考えが変わったのが日本被団協を知ってからだ。

地元の中国新聞社に就職して記者になっていた。

被団協の人たちが人類の危機を救おうと手弁当で活動する姿に感銘。

自分は了見の狭い人間だったと反省した。

以来、被団協の取材に力を入れ、いまは代表理事を務める。

去年12月にはノーベル平和賞の授賞式にも参加した。

「誰もが核に運命を委ねている時代」

戦後80年や被爆80年という言葉は、ほとんどの国民が戦争、原爆を体験していないので距離を感じるというのが田中さんの考えだ。

代わりに使うのが「核時代80年」。

この日の講演のテーマも「ノーベル平和賞を核時代80年につなぐ」だった。

誰もが核に運命を委ねている時代。

その共通認識を持って欲しいという願いが込められている。

田中さんは50歳を過ぎてから食道がんなど6つのがんの手術をした。

幼いときから悩まされた口内炎も原爆症とわかった。

田中さんの「核時代80年」はいまなお残る原爆放射線の影響とともにある。

東京都立川市 4月12日

今回の講演は去年夏に立川市の中学生が広島で田中さんの被爆証言を聴いたのがきっかけだ。

縁を大切にして活動を広げていくのが田中さんのスタイル。

5月には核保有国フランスを訪問するという。

忙しい「核時代80年」になりそうだ。

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