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「知らないと前に進めない」裁判に遺族参加し語った“絶望” 高速道路2人死亡事故 男性は他人かばい女性は救助に 「被害者の名前は『分かりません』」被告に下された2年越しの判決 広島(中)

広島県の山陽自動車道で2022年11月、路上にいた2人をはねて死亡させるなどの罪に問われたトラック運転手の裁判。初公判から1か月後、2024年11月に開かれた裁判では被害者遺族の意見陳述が行われました。

開廷時間の間近になって黒色スーツで法廷に現れた玉置被告。黒色のマスクを着け、検察側に深く一礼すると弁護側の席に着席しました。

検察側が裁判官に対して意見陳述を求めると、検察側の席にマイクが準備されました。この裁判では被害者参加制度が採用され、検査側の席には遺族とその弁護士合わせて8人が着席していました。マイクに向かって、声を震わせながら意見陳述を行ったのは、事故で亡くなった(男性A)さんの妻でした。

(以下、意見陳述より内容を一部抜粋しています)

▼意見陳述(1)男性Aさんの妻「もう亡くなっていると聞いたとき、頭が真っ白に」

「私の夫(男性Aさん)は子どもの頃から責任感が強く、私にも子どもの頃の苦労話をよく話してくれました。
兵庫県の会社に就職し、以来55歳で亡くなるまで37年間実直に働いてきました。私とは10年前に知り合い、その後結婚しました。私は再婚で子どもがいましたが、夫は広い心で受け止めてくれ、時には厳しく時には優しく親子として親身に接してくれました。子どももお父さんができたと喜んで慕っていました。
私が入院をしたときには、面会時間ギリギリまで毎日お見舞いに来てくれる優しい人でした。
兵庫県から九州に転勤となり単身赴任をすることになった夫は、当初新幹線で行き来していましたが、コロナ禍もあり、週末は車で片道8時間かけて帰ることが増えました。
普段は金曜の仕事終わりに九州を出発し、夜中の1時ごろ自宅に着いていました。お土産にくまもんのぬいぐるみやキーホルダーなどを買ってくれていたのを思い出します。
2022年11月25日の深夜、いつもより帰りが遅かったので私は心配しつつ帰りを待っていました。真夜中2時ごろに電話がかかってきたので嫌な予感がしました。
夫が事故に遭ったと聞き、さらにすでにもう亡くなっていると聞いたとき、頭が真っ白になりました。
一緒に旅行した思い出も新婚旅行で北海道に行った以外は、数えるほどしかありません。
もっと長生きして、定年後はゆっくり親孝行をしたり、夢だった家庭菜園を楽しんだりしたかったはずです。こういう形で夫の夢とわたしたちの暮らしが一瞬にして奪われたことが無念でなりません。
夫の事故では、当初報道では夫が最初の事故を起こしたかのように報じられ、(女性A)さんのご遺族に申し訳ないという辛い思いをしました。
その後の現場検証の結果、夫に責任はなく(※男性Aさんの車にSさんのトラックが衝突した第1事故)トラックの無理な車線変更が原因だった分かりました。しかし、2人の尊い命が奪われた事実は変わりなく、遺族の悲しみが消えるはずもありません。
被告人に対しては以下の事を問いたいと思います。

(1)最初に謝罪に来たとき、なぜ私の顔を見て謝らなかったのですか。下を向いて『すみません』ばかりで本当にすまないと思っているのか分かりませんでした。ちゃんと前を向いて謝ってほしかった。
(2)暗い高速道路で前を向いて走っていなかったのはなぜですか。普段からタバコを吸いながら漠然と運転をするのが慣習化していたのではないですか。

私の大切な家族は死んでしまいました。夫はもう帰ってきませんが、私は今も夫の夢を見ます。
あるときは夫が家に帰ってきてくれて『ちゃんとしとるか』と話しかけてきます。またあるときは『ただいま』と帰ってきました。
夫も死ぬ直前まで自分が死ぬとは思っていなかったでしょう。生きていたらもっともっとやりたいことがあったと思います。
被告人は自らの軽率な運転で2人を死に至らしめた罪の重さを、遺族の悲しみを背負って、一生事故のことを忘れずにいてほしいです。厳正な処分を求めたいと思います」

続いて検察側は、亡くなった(女性A)さんの当時交際相手だったNさんの陳述を代読しました。

▼意見陳述(2)Nさん「もう一度話したい、もう一度名前を呼んでほしい」
(検察官代読・意見陳述より 内容を一部抜粋しています)

「(女性A)は思いやりのある本当に優しい人でした。誰かのためになるなら、自身の損得に関係なく手を差し伸べる人です。
周りの人からの信頼も厚く、家族や友人、仕事関係者、だれからも愛される素敵な人でした。
私たちは来年の春から一緒に暮らすため、新居の内見などをしていました。将来の話も楽しそうに話していました。
そんな彼女を一瞬にして奪われたのです。
事故の日、道路に散らばった事故車両の破片をタイヤが踏んで停車したときも、(女性Aさん)は事故当事者の心配をして「けがをしている人がいるから声をかけてあげた方が良い」と気にしていました。
あの日から約2年が過ぎようとしていますが、事故のことを忘れる日はありません。私たちに楽しい日常が一瞬にして深い真っ暗な地獄に変わってしまいました。
事故後、被告人からは謝罪の一言もなく、他の被害に遭われた方への対応を聞いても反省どころか、罪の意識はなく自身がどれだけのことを犯したのか理解していないと強く感じました。
愛するパートナーが、家族が、目の前で亡くなる辛さ・悲しさ・寂しさ・絶望感・憤り・憎しみが分かりますか。
事故の直後、心臓マッサージをしている私の胸の中で、彼女の口がかすかに動き、私の名前を呼んだような気がしました。
それが彼女との最後の会話です。
もう一度会いたい、もう一度触れたい、もう一度話したい、もう一度名前を呼んでほしい。
今まであった幸せは、日常はどの願いも叶うことはないのです。
どうか、被害者遺族の心に寄り添った判決をお願いします」

検察側は論告で「注意義務怠った過失は極めて重大と言わざるを得ない」、2人を死亡させ2人に大けがをさせた「刑事責任は極めて重い」と断罪。「遺族の報復心を和らげ痛みを幾ばくか癒やすことができるのは実刑判決以外にない」として禁固5年の実刑を求めました。

検察の論告が終わると、(女性A)さん遺族の担当弁護士から意見陳述が行われました。これは刑事訴訟法316条の38の規定に基づいたもので「求刑意見」を述べることができ、被害者参加人もしくは委託を受けた弁護士に許された陳述である一方、実例は決して多くありません。

遺族側弁護士は、まず一般情状に関して意見を述べました。(以下、意見陳述より一部抜粋)

▼遺族側弁護士が“異例”の意見陳述 「被告は事故後も1年間トラックを運転していた」

「(1)被告人は反省もしておらず被害者は被告人から謝罪すらされていない。
『謝罪しても許されないだろうから謝罪できなかった』というのは単に自己保身のために事件から目を背ける態度としか言えない。
被告人は被害者の命日の2日前に(女性Aさん)の自宅に花を送りつけてきた。
約1年も何の連絡もないまま突然花だけを贈る行為は訪問や謝罪文を書くことすら手間であると被告人が思ったとしか受け取れず、遺族の感情を深く侮辱するものに他ならない。
公判で述べた『申し訳ない』という言葉は被告人に有利な情状として考慮されてはならない。

(2)賠償の見込みは有利な情状ではない。
賠償金は勤務先が契約する保険会社から支払われるもので、被告人に有利な情状として考慮されるべきではない。
被告人からすれば雇用主、保険会社と被害者の間で処理されるものに過ぎず、被告人に有利に考慮する理由はない。

(3)被告人の公判での「運転免許を再取得しない」という話に信用性はない。
被告人は、事故から運転免許が取り消された2023年11月1日までの約1年、事故後もトラックの運転を続けていた。
捜査段階では、免許の再取得をする意向があるとし、その理由として『トラックの運転が好きだから』と供述していた。
それが公判で突然、『恐怖心』を理由に取得しないと供述した。事故後約1年もトラックを運転していながら「突然恐怖心を覚えた」は不合理極まりない。
免許の取得は法律上不可能ではなく、被告人の思い一つで再取得が可能。
免許取得しないことを有利な情状とするために、あえてそのように供述したとしか考えれない。

(4)事件前後の状況の不均衡について(女性A)さんは第一事故、第二事故に遭遇し、その使命感から人命救助を試みたが、被告人の無責任な運転によって命を失った。
当時25歳、夢や希望を抱いていた(女性A)さんには何の落ち度もない。
遺族らは絶望的な喪失感を味わい、いまだにその悲しみから癒やされることはない。
一方、被告人は事件後も身柄を拘束されるわけでもなく勤め先でもしばらくはトラック運転手を続け、免許取り消し後は倉庫内作業をし、その思い一つで免許の再取得が可能な状況。
そして社長は引き続き被告人を雇用する意向を表明した。
捜査に数回協力するために時間を割いたこと、事故後に1年間免許を取り消されたことしか不利益を被っていない。
事件は終わったも同然という感覚なのでしょう。
そうでなければ(男性A)さんの下の名前を忘れるなど考えられない。遺族の状況と被告人の状況はあまりにも大きな不均衡がある」

遺族弁護士は、続いて求刑について意見を述べました。

「被害者参加人は検察官の論告やこれまでの情状に関する事情も加味し、被告人を法定刑の最長である懲役7年の実刑に処してほしいと考えています」

▼被告「本当にとんでもないことをしてしまいました」

一方、被告の弁護人側は「公訴事実は争わない」としたうえで「被告人なりに遺族の慰謝に努めている」、「損害賠償で一定の被害回復が見込まれる」、「先行する2つの交通事故等もその遠因になっている」などとして執行猶予を求めました。

最後に裁判長から促されると、玉置被告は「本当にとんでもないことをしてしまいました。判決に従い一生償っていきたいと思います」と静かに述べました。

すべての審理を終え、判決は翌12月に出されることになりました。10月に初公判が行われてから、すでに事故から2年が過ぎていました。

(下に続く)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1638371

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