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ひとり暮らしの哲代さん(104) 戦前の修学旅行で満州へ 16日間もの長旅&出迎えてくれたのは…なんと「溥儀さん」?! 

広島にも修学旅行生がたくさんきていますが、広島からの行き先、高校生で一番多いのは、東京ほか関東方面なんだそうです。
そして今回は、時代を超えて、戦前の修学旅行の話です。

104歳の尾道市の石井哲代さんから教えてもらいました! かつては小学校の先生で、夫が他界してから20年以上1人暮らしを続ける哲代さんが、85年前の女子師範学校時代に行った修学旅行、行き先はどこだと思います? 驚きの行程と体験です。

旬の味覚を大胆にかじりながら語る85年前の思い出は?

石井哲代さん(104)
「栗は栗腹」
姪 横山直江さん
「栗だけは別腹なので、食事の後で食べるんです。いつも」
「はいどうぞ」
「おばちゃん、スプーンで掘った方が食べやすい」

石井哲代さん(104)
「んんん。これがえぇんでございます」(皮つきのまま口に)
「しかもね、茹でだちじゃけぇねぇ、ほんまにおいしい」

石井哲代さん(104)
「のんき、のんきと100年が過ぎました」

哲代さんが、今、頻繁に思い返すのは、幼少期や青春時代の思い出…。女子師範学校のころの話をしてくれました。

石井哲代さん(104)
「修学旅行で満州へ行きました。あれは言わんにゃいけん」
「すごいですね。たった2週間の修学旅行でした。えかったですね」

1939年(昭和14年)、船で下関から釜山へ。満州鉄道などで各地を回り大連から船で帰る16日間。満州では日本円が使えたそうです。

石井哲代さん(104)
「小遣いが70円ごまかして72円持っていた。帰ってみたら2銭残っとった。何を買うたんでしょうね。トランプ買うて妹や弟に…」
※正しくは旅費が72円50銭。小遣いは20円。

巡ったのは、日露戦争や満州事変の戦跡…。次世代の教育者となる哲代さんたちに、「アジアの覇者としての日本」を見せる狙いがあったと考えられています。

石井哲代さん(104)
「あなたら知ってないかしらんが、203高地もあがって。ここからロシアの軍隊を追い払うちゃったんか思うて」

満州の大都市に刺激を受け続けた、上下町育ちの哲代さん。さらに…。
石井哲代さん(104)
「満州国皇帝陛下が出てくれちゃった。私らが修学旅行に行ったら『よく来てくれました』いうて。溥儀さんが。ほいで、おつきを二人ほど連れてね」

「教師の卵」たちを出迎えたのは…ラストエンペラー?!

清朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀。首都、新京の宮殿を見学した際に、出迎えてくれたといいます。

Q.(溥儀さんの)顔が見えましたか?
石井哲代さん(104)
「見えました、見えました、そこへ出ちゃたんじゃけぇ。やっぱり緊張はしましたね。溥儀さんいうてね…」

「♪人民三千万、人民三千万♪、いう国歌を歌いました。ハッハッハ。…いうのは覚えとるね」
「そりゃそうよね。もう100年前の話をしよる。はっはっは」
「もう(撮影を)やめときなさいませ。栗を食べた方がえぇ」

哲代さんは、ハルビンで食べた3色アイスクリームの味が忘れられないということです。

また、観光学が専門で、せとうち観光専門職短大の内田忠賢副学長によりますと、「海外への修学旅行」は、哲代さんが行った翌年の1940年ごろから、戦況悪化のためできなくなり、再開したのは、戦後の1972年。宮崎県の高校が、韓国に行くまで32年間も、途絶えていたということです。

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