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「えっ・・・部員3人?」廃部寸前の吹奏楽部が見事復活!全国大会出場へ「より音楽的で尖った演奏をしよう!」広島桜が丘高校・吹奏楽部物語

「えっ・・・3人?」廃部寸前からのスタート

コロナ禍まっただ中だった2021年4月。広島桜が丘高校へ着任したばかりの金山純也教諭は絶句した。音楽室へ入ると、そこにいたのは、クラリネット担当が2人と、ユーフォニアム(中音域の金管楽器)担当が1人だけ。全員が3年生だという。新型コロナの影響で、部活動どころか学校生活もままならない中、吹奏楽部は、廃部の危機を迎えていたのだ。

広島桜が丘高校・吹奏楽部顧問 金山純也教諭
「以前は15人から20人程度の部員がいたそうです。ところが、コロナ禍で部員が減り続け、私が顧問になったときには、すでに活動自体がままならない状態でした」

桜が丘高校へ来る前は、県内の私立中高一貫校で教壇に立っていた金山教諭。前任校では、20人ほどしかいなかった吹奏楽部を、ほんの4年ほどで80人超の大所帯へと育て上げ12年にわたって指導した実績をもつ。「今度は桜が丘で思う存分、力を発揮してほしい」と請われて学校を移ってきた。しかし、前任の顧問から引き継ぎを受けて初めて「部員わずか3人」という非常事態を知ることになった。

快進撃を続ける広島桜が丘高校吹奏楽部

校名が広島第一女子商業だった頃からのことを知る先輩教諭に尋ねると、吹奏楽部にはそれなりの伝統があるのだという。その先生が赴任した1987年当時にはすでに吹奏楽部が存在しており、夏の広島県吹奏楽コンクールなどに出場していたという。コロナ禍で伝統が途切れかけた、創部して「少なくとも」37年の吹奏楽部。ここから奇跡の快進撃を見せるとは、金山教諭や生徒たちも、誰も想像だにしていなかった。

夢が幻となった新生吹奏楽部1年目

そもそも吹奏楽は、人数がいないと成り立たない。大所帯であれば、50人以上がステージにひしめき合う。最も少ない場合でも、10人程度は必要だ。人数が少なくなれば、用いる楽器の種類が少なくなり、演奏できる曲のレパートリーが限られてしまう。
当時はコロナ禍で、コンクールは軒並み中止となり、音楽室に集まって練習することもままならなかった。たった3人となった3年生たちは、それでも「高校生活最後のコンクールは絶対に出場したい」と情熱を燃やし続けていた。

金山教諭が顧問に就任してまもなく、新1年生数人が音楽室へ見学に訪れた。正式な入部届をもらう前から、それぞれ別の楽器を割り当て、マンツーマン練習を開始。

「コロナに負けず吹奏楽をあきらめなかった3年生たちと一緒に、コンクール出場を果たしたい」

そんな思いが通じたのか、1年生6人が入部した、その矢先だった。7月後半のコンクール直前、校内で新型コロナに感染した生徒が出てしまった。自由曲を、一曲通しでなんとか演奏できるまでになっていたが、その努力はすべて泡と消えてしまった。すべての部活動が休止となり、新生・広島桜が丘高校吹奏楽部の初ステージは「出場辞退」。とてもやりきれない結果となった。

「3年生の思いを胸に!」2年目の急成長

3年生の夢がはかなく散ったのを目の当たりにした1年生たち。入部したてのころは、音符の長さや音の高低がわからないため、楽譜も満足に読めない初心者ばかりだった。それでも、先輩たちの思いを胸に、練習に励んだ。

金山純也教諭
「猛練習をした覚えは、特にありません。信じてもらえないかもしれませんが。吹奏楽未経験でも無理なく続けられるように活動スケジュールを工夫しました。土曜日は半日練習、日曜日は休みが基本で、平日も休養日を作ってきました。私が指揮して指導するというより、生徒たちと一緒になってサックスやトランペットを吹く。明るく笑いのたえない練習風景が日常でした」

金山教諭は、大人が一緒になって心の底から楽しむ姿を見せること、そして、子どもたちの目に見えない力(=非認知能力)をのばすことが、成長の鍵になるという信念をもっている。
部訓に掲げたのは「やればできる」。実家のある愛媛県松山市の済美高校野球部が、2004年、創部わずか3年目で甲子園初出場初優勝を成し遂げたとき、クローズアップされた校訓だ。4番・鵜久森淳志(日本ハム-ヤクルト)やエース福井優也(早大-広島)が激闘を演じる中、当時大学生だった金山教諭は、仲間とともにアルプススタンドへ応援に駆けつけた。済美高校の卒業生ではなかったが、郷土の球児たちに触発され、懸命にラッパを鳴らしていたという。このとき味わった強烈なインパクトと猛烈な感動が、今に通じる原動力だ。

金山純也教諭
「人間は困難に陥ったとき真っ先にできない理由を探してしまいます。そうじゃなくて、できる方法を模索しようよ、と。廃部寸前の吹奏楽部を盛り上げることはたしかに困難なミッションでした。しかし、私は『やればできる』と自分にも言い聞かせ、覚悟を決めました」

そして、生徒たちの成長スピードは、金山教諭自身の想像をも超えていくことになる。
指導2年目の2022年、初心者からスタートした1年生たちは2年生に。新入部員を合わせた10人で広島県吹奏楽コンクール・高校小編成の部に出場。そこで金賞を獲得し、勢いに乗る。日本管楽合奏コンテスト予選審査会で優秀賞、広島県アンサンブルコンテストでは打楽器七重奏とサクソフォン三重奏の2チームが、金賞をダブル受賞した。

3年目の奇跡「高校生の可能性は無限」

夏の吹奏楽コンクールで中国大会初出場を決めたメンバーたち

「あの」1年生たちが、最終学年を迎えた2023年。5月には、新型コロナウイルスが5類に移行、高校生の部活動は平常を取り戻した。桜が丘高校の音楽室も、熱気を増す。わずか2年前には、たった3人と廃部寸前に追い込まれた吹奏楽部が、すっかり活気を取り戻していた。集大成と位置づけて臨んだ広島県吹奏楽コンクール・高校小編成の部で2年連続の金賞を獲得。広島県代表に選ばれ、創部初となる中国大会出場を果たした。勢いそのままに、中国大会でも金賞の快挙を成し遂げる。

快進撃は止まらない。学校名を伏せた形で録音審査される日本管楽合奏コンテスト予選審査会では、全国大会への出場権が得られる最優秀賞を受賞。全国の有力校が揃う東京の会場、文京シビックホールで初めて音色を響かせた。

金山純也教諭
「実は、最後のコンクールに出場できなかったあのときのメンバーは、大学進学後も、コンクールの補助員や定期演奏会のスタッフとして手伝ってくれて、吹奏楽部を今でも応援してくれています。後輩たちの活躍を自分のことのように喜んでくれています」

定期演奏会 コンクール出場が叶わなかった3人や中国大会初出場メンバーが顔を揃えた

青春をあきらめなかった3人がつないだ吹奏楽部の歴史。「やればできる」の精神で歩んできた金山教諭と部員たちの努力が、ひとつひとつ、実を結んでいった。

中途半端ではだめ。より音楽的で尖った演奏をしよう!

そして、2024年。部員数18人となった吹奏楽部は、広島県吹奏楽コンクール・高校小編成の部で3年連続の金賞を獲得。中国大会出場は逃したものの、日本管楽合奏コンテスト予選審査会では最優秀賞に選ばれ、見事2年連続の全国大会出場が決まった。

2年連続の全国進出に、部長の安田充樹さんは気合いをみなぎらせる。

広島桜が丘高校・吹奏楽部 安田充樹部長
「夏のコンクールで中国大会を逃した悔しさをバネに、やっとの思いで手にした全国大会です。先輩たちのバトンをつなぐことができた喜びでもう胸がいっぱいで・・・。今度は全国大会最優秀賞を目指して、一瞬一瞬、一音一音を心に刻みながら最後まで精一杯演奏します」

現部長の安田充樹さん

広島桜が丘高校吹奏楽部、奇跡の復活劇。金山教諭は「何か特別な計画があったわけではありません。とにかく目の前の生徒たちと真剣に向き合い、みんながそれに応えてくれた。一緒に成長してきた感が強いです」と、目を細める。
とにかく楽しく、でもやるときはとことんやる。たとえ好みが分かれたとしても、どこの学校よりも音楽的で尖った演奏を心がける。誰かにやらされるのではなく、生徒も顧問も一体になって演奏に没頭する。そんな桜が丘こだわりのスタイルこそが、「やればできる」の真骨頂だ。

金山純也教諭
「再スタートから3年。本当に『やればできる』のだということを桜が丘の生徒たちから教わりました。吹奏楽コンクール中国大会の初出場初金賞や、日本管楽合奏コンテスト全国大会出場は、甲子園初出場初優勝ほどの偉業ではないですが、自分たちの中では、それに匹敵するドラマがあったと思っています」

練習に励む生徒たちと金山教諭

広島桜が丘高校は、全国大会の遠征費や楽器の維持費などに充てるべく、現在クラウドファンディングを実施している。吹奏楽部が出場する第30回日本管楽合奏コンテスト全国大会は、11月10日、東京・文京区の尚美バリオホールで開催される。
 

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