今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
新婚生活を始めた東京の自宅で、
ご近所の娘さんに裁縫と手芸を教えることから始まった、
コタカさんの塾は評判を呼びました。
「先生の教え方がとっても親切」
「学んだことがすぐに役立つ」
そんな評判が瞬く間に広まって、生徒の数がふくれ上がったのです。
この人気をもたらしたのは、「教育には実技が欠かせない」という、
コタカさんの信念だったかもしれません。
その根底には、社会のどんな出来事にも対応できるような実力を養う、
「実学こそが真の学問だ」という強い思いがありました。
この「実技実学」の精神は、今も大妻学院に受け継がれています。
生徒たちを自分の娘のように愛したコタカさんが、
「実技実学」を大切にしたのは、
当時の女学校教育に足りないものがあると感じていたからです。
家庭生活に役立つことを実践的に教える女学校が少なく、
ともすれば「頭でっかちになりがちだ」と言われることがありました。
そんな世間の声に対して、実技に力を入れた学校を自らつくり、
裁縫や手芸を通して人間形成ができることを伝えたのです。
ひと針ひと針積み上げていく手芸は、
努力がはっきりとカタチになって現れるため、
知らず知らずのうちに、手抜きをしない勤労の習慣がつきます。
自分で苦心した経験があれば、他人がつくったものに対しても、
心から敬意を払い、感謝することができる・・・
とコタカさんは考えていました。
いつでも、どんな時でも、実践の人だったコタカさんは、
こんな言葉も残しています。
「社会には、口先ばかりの物知りが多くて困ります。
そんな人ほど、自分は何もしないから、
せめて口だけはと、やかましく言わざるを得なくなります。
どうか皆さまは、口の人よりも手の人になってください。
やかまし屋にならないで、静かな実行家になってください」
令和の時代になった今でも、多くの人の心に響く言葉ではないでしょうか。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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