今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
明治40年、コタカさんは鎌倉尋常高等小学校の教員になりました。
ふるさとの世羅から上京して、5年目のことです。
ある日、東京に住む従兄から、
「今度の日曜日、自分の写真を持って我が家に来なさい」
という手紙が届きました。
わけが分からないまま家を訪ねると、そこには先客があり、
その男性を初めて見たときの印象を、コタカさんはこう語っています。
「がっちりした立派な体格で、
陽やけした顔にきりっと結ばれた口元が、
見るからに怖い感じの人でした」
従兄に写真を渡して帰ろうとすると、
席につくよう促され、飲めないお酒をすすめられました。
「まねだけでいいから」と言われ、
渡された盃に仕方なく口をつけると・・・
「簡単ですが、これをもって三三九度の盃といたします」
信じられないような話ですが、何も知らされずに顔を合わせた相手と、
その日のうちに結婚することになったのです。
突然のことに驚いたコタカさんは、
よたよたと台所に下がると、泣きくずれてしまいました。
その姿を見た従兄は、
「結婚というのは宝くじを引くようなものだから、
知らぬ者同士でも心を合わせれば、きっとうまくいくよ」と言い、
コタカさんは、なかばあきらめの気持ちで引き受けたのです。
お相手の名前は、大妻良馬(おおつま りょうま)。
日露戦争に従軍したのち、退役して宮内省に勤めている役人でした。
帰り道、二人は言葉を交わすこともなく、汽車に乗りました。
上野駅へ着くと、ちょうど開催されていた博覧会の会場に向かい、
無言のままひとまわりして、近くの蕎麦屋へ。
これが初めての、ささやかな2人きりの食事でした。
コタカさんは、良馬さんのあとをついて行くだけでしたが、
口には出さない優しさを、感じたひとときでもありました。
こうして、コタカさんが22歳、良馬さんが35歳のときに、
二人は晴れて夫婦になったのです。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
新着記事
コメント (0)
IRAWアプリからコメントを書くことができます!!