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「原爆って恐ろしい…」爆心地から460メートル 広島市の小学校が島根の小学校と合同で平和学習 学び舎が被爆後は救護所に 修学旅行で初めて触れる被爆の実相

広島市にある小学校が島根県の小学校と合同で平和学習をしました。原爆に耐え、救護所にもなった校舎などを子どもたちが案内しました。

袋町小学校6年生
「津田小学校の2組さん私についてきてきださい」

袋町小学校を訪れたのは、松江市にある津田小学校の6年生132人です。修学旅行で広島を訪れていて、17日は平和学習です。袋町小学校の6年生が校内を案内します。

袋町小学校と津田小学校の児童
袋町小「『じゃけん』とか『じゃが』は言う」
津田小「広島弁はそうだよね」
袋町小「島根は?」
津田小「出雲弁。『だけん』とか『なにしちょー』とか」

津田小学校の児童はビデオで原爆の被害や、袋町小学校の歴史を学びました。袋町小学校は爆心地からわずか460メートル。当時、学校にいた児童・教職員およそ160人はほぼ全滅しました。倒壊を免れたコンクリート造りの校舎は、傷ついた被爆者を治療する「救護所」として使われ、現在、その一部が「平和資料館」になっています。

袋町小学校6年生
「これは伝言板。当時、被爆した人たちが家族の居場所やどこで亡くなったのかを知らせるために壁に書いたもの。ここに袋町と書いてある」

袋町小学校6年生
「あの太鼓は被爆前はチャイムとして使われていた。原爆の熱風で破けて、あんなふうになってしまった。

袋町小学校6年生 別の児童
「当時は学校の中にあったが、それが吹き飛ばされて校舎の外にあったから、それをここに持ってきた」

島根出身の児童たちの多くは初めて被爆の実相に触れました。

津田小学校6年生
「こんな感じで実際に見るのは初めて。原爆って恐ろしいものなんだなとあらためて実感した」

津田小学校6年生 別の児童
「原爆1つで全部が変わるんだなと思った」

袋町小学校と津田小学校の児童たちは、平和について意見を交わしました。

津田小学校教諭
「資料館の見学では袋町小学校の児童1人ひとりが自分たちの街の歴史を語ることができるのがすごいなと思った。そういう子たちと出会えたことが宝物。今回の修学旅行を忘れずに自分たちの生活に生かしてもらいたい」

袋町小学校6年生
「ちゃんと伝わるか不安だった。他県の人が平和について知ってくれることはとてもうれしいことだし、すごく大事なことなので。すごくうれしかった」

袋町小学校は今後も機会があれば、こうした平和交流を続けていきたいとしています。

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